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「AI脆弱性の嵐」から半年 ~ 4月の予測はどこまで現実になったか

2026年10月17日
AIWGメンバー 諸角昌宏

はじめに

2026年4月19日の本ブログで、CSA、SANS、[un]prompted、OWASP GenAI Security Projectなどが共同でまとめた緊急戦略ブリーフィング「AI脆弱性の嵐(AI Vulnerability Storm):『Mythosレディ』なセキュリティプログラムの構築」の日本語版を紹介した[1][2]。Claude Mythos Previewの発表を受けて、AIによる脆弱性の発見と悪用が加速する世界に、組織がどう備えるべきかを示した文書である。

この文書の特徴は、強い危機感と具体的な時間軸にあった。今週着手すること、45日以内、90日以内、12か月以内という区切りで優先アクションを示し、取締役会には「90日計画」を求めた。言い換えれば、「四半期の単位で動かなければ間に合わない」という見立てである。 それから約半年がたった。日本では9月下旬から、不正アクセスによる情報漏えいの公表が連日のように続き、10月にはJPCERT/CCが一連の事案の攻撃者によるAIの利用を確認したと公表した。本ブログでは、4月の文書が何を予測し、何を求めていたかを原文に沿って振り返り、この半年で何が現実になり、何が予測と違ったのかを整理してみたい。

1. 4月の文書は何を予測していたか

原文は、次のような見通しを示していた[2]。

論点原文の記述(要旨)
能力の拡散同等の攻撃能力は、他のフロンティアモデルには数か月以内に、オープンウェイトモデルには6か月から1年以内に現れる
悪用までの時間脆弱性の公開から悪用までの時間は分単位に短縮されている。いわゆる「ゼロデイ・クロック」は2026年に1日を切った
脆弱性の量脆弱性の公表の頻度と量は、これまでに経験したことのない水準になる
攻撃の担い手平均的な犯罪者が、かつては国家レベルの資源が必要だった能力を持つようになる
インシデント同じ週に複数の重大インシデントが同時に起きる事態を想定した机上演習を行うべき
影響ただし、悪用までの時間の短縮は、まだ悪用の影響の比例的な増大にはつながっていない

最後の一文にも注目しておきたい。4月の時点では、「速度の変化はすでに起きているが、被害の規模にはまだ表れていない」という認識だった。この点が半年後にどう変わったかは、後述するとおり、事故の増加とAIとの関係が明確になっていない現時点では判断できない。

そのうえで文書は、11の優先アクションに着手時期と完了の目安を付けている。

優先アクション着手目安
1. コードとパイプラインにAIエージェントを向ける今週継続
2. AIエージェントの導入を必須にする今週継続
3. 自組織のエージェントを守る今月45日
4. イノベーションと加速のガバナンスを整える今週6か月
5. 継続的なパッチ適用に備える今週45日
6. リスクモデルと報告を更新する今週45日
7. アタックサーフェスを棚卸しし、縮小する今月90日
8. 環境を堅牢化する今月6か月
9. ディセプション(おとり)の能力を作る90日以内6か月
10. 自動対応の能力を作る90日以内12か月
11. VulnOpsを立ち上げる6か月以内12か月

4月から数えれば、45日の目安は5月末、90日の目安は7月中旬にあたる。9月下旬の時点で、アクション3、5、6、7はすでに目安を過ぎ、1と2は着手から5か月がたっている。さらに、6か月が目安のアクション4、8、9も、一連の事案のさなかの10月中旬に期限を迎えている。

2. この半年で現実になったこと

2.1 能力の拡散は、予測どおりか、それより早く進んだ

英国AI安全研究所(AISI)は4月30日、GPT-5.5の初期版の評価結果を公表した。専門家レベルのサイバータスクの平均合格率は、GPT-5.5が71.4%、Mythos Previewが68.6%で、ほぼ同水準だった[3]。IPAの「AIセキュリティ短信」2026年9月号は、AIのサイバー攻撃能力が初めてOpenAIの基準で「Critical」水準に達したことを取り上げている[4]。「他のフロンティアモデルには数か月以内」という予測は、ほぼそのとおりに進んだ。

より注目すべきは、攻撃の現場で使われているAIである。Gambit Securityが9月に公表した暫定報告では、攻撃者は3種類のオープンソースのAIエージェントツールを組み合わせ、脆弱性の探索から侵入、データの持ち出しまでの大部分を自律的に実行させていた。1標的あたりのコストは平均で約25ドルにすぎない[5]。AIエージェントを利用することで、一部の攻撃者が比較的低コストで大規模な攻撃を実行できることが示された。これは高度な攻撃能力の利用コストが低下していることを意味するが、平均的な犯罪者が同等の能力を獲得したとまでは断定できない。

2.2 自律的な攻撃が観測され始めた

Google Threat Intelligence Groupは9月、攻撃者のAI利用が「プロンプトで指示する段階から自律へ」移りつつあるとする報告を公表した[6]。IPAの9月号も、AIエージェント群による政府機関への自律的な侵入や、AIエージェントによって企業への侵入が10時間に短縮された事例を紹介している[4]。

そして国内でも、JPCERT/CCが10月15日、一連の不正アクセス事案で攻撃に使用された可能性のあるインフラを調査した結果、「攻撃者がAIを利用して、既知の脆弱性のスキャンやAPI経由での攻撃などを実施していたことを確認しました」と公表した[7]。同日の報道では、AIエージェントの使用や、標的の選定からデータの窃取までが自動化されていた可能性に言及している。ただし公表文書は「AIを利用して」という表現にとどまり、個別の事案との対応や、どこまで自律的だったかは示していない。

2.3 「同時多発」は、日本で起きた

4月の文書が机上演習の題材として挙げた「同じ週に複数の重大インシデント」は、9月下旬以降の日本で、ほぼそのままの形で現れた。Aioright Technologiesの集計では、7月1日から10月4日までに検知または公表された確認済みのサイバー攻撃126件のうち、公表月で見ると8月に47件、9月に57件が集中している[8]。なお、件数は公表単位で数えたもので、全数調査ではなく、公表の時期と発生の時期も一致しない。警察庁によれば、2026年上半期のランサムウェア被害の報告件数も123件で、半期として過去最多となった[9]。

委託先1社への侵害が複数の組織の被害につながる事例も目立った。問い合わせ管理システムの提供会社への不正アクセスでは、証券会社、保険会社、製造業者などが相次いで顧客情報の漏えいの可能性を公表している[10]。4月の文書は「サプライチェーンは影響を受ける」と書いていたが、それが具体的な形で表れた。ただし、こうした事案の増加とAIの利用との因果関係は、現時点では示されていない。

2.4 規制当局は「四半期」より速く動いた

金融庁と日本銀行は5月22日、脆弱性の発見から攻撃に至るまでの期間が大幅に短縮され得るとして、金融機関等に9項目の短期的な対応を、概ね1か月程度を目途に進めるよう要請した[11]。優先システムの特定、技術負債の解消、リスクベースのパッチ適用、停止への備えなど、内容は4月の文書の優先アクションと大きく重なる。要請自身は、これらを「応急的措置」と位置付け、中長期的には脆弱性対応の自動化等への移行が必要としている。さらに金融庁は10月9日、委託先を含むサードパーティのリスク管理の再点検と、ICチップによる本人確認への早期移行を求めた[12]。

3. 予測と違ったこと

一方で、この半年の出来事は、4月の議論がそのまま現実になったわけではないことも示している。

3.1 機械速度は、最先端のAIを待たずに来た

4月の文書の中心にあったのは、機械速度で動く攻撃と、人間の速度で動く防御との非対称性だった。その速度をもたらすものとして想定されていたのは、Mythosのような最先端モデルによる脆弱性の発見と悪用の加速である。しかし、これまでに公表された攻撃で使われていたのは、オープンソースのエージェントツールや一般に利用できるAIだった。機械速度の攻撃は、最先端モデルの能力が広く行き渡るのを待たずに、手頃なAIと既存の手口の組み合わせで現実になった。

3.2 突かれたのは、多くが以前からある弱点だった

JPCERT/CCが確認したAIの用途は、既知の脆弱性のスキャンと、スマートフォンアプリを解析してその裏側にあるAPIの弱点を探す行為だった[7]。推奨している対策も、アプリに秘密鍵を埋め込まない、サーバー側で認証・認可を行う、レート制限と監視を行うといった基本的なものである。Gambit Securityの事例でも、使われたのはSQLインジェクションやファイルアップロード機能の不備、設定ファイルに残された認証情報だった[5]。注意喚起の対象には公開前に悪用された脆弱性に関わるものも含まれるが[13]、全体として見れば、AIが未知の脆弱性を見つけて侵入したというより、既知の弱点を探して突く作業が速く、安く、大規模になったと見る方が実態に近い。

3.3 入口は、自社の中心ではなく周辺にあった

金融分野では、9月下旬以降に公表された主な事案の入口が、自社の中心的なシステムではなく、委託先や周辺のシステムだった[10][14][15]。

事案(公表時期)入口(公表時点)5月の要請との関係
大和証券、損保ジャパン、オリックス生命(10月5〜8日)問い合わせ管理を委託していたFAQシステムの管理サイトへの不正ログイン(アカウントの入手経路は未公表)要請は優先システムを絞り込む構成で、周辺業務の委託先は対象に入りにくい
IDARE(キャッシュレスアプリ、10月中旬)顧客対応などに使う外部ソフトウェアの脆弱性(ソフトウェア名は非公表)要請には、外部のソフトウェアやサービスに預けた顧客データの扱いについての記述がない
内藤証券、大和総研(10月15日)運用を委託しているネット取引システムのWebサーバー(侵入経路は調査中)要請が最優先とした外部公開システム。ただし委託先に関する項目は、パッチ適用作業の契約と役割分担の確認にとどまる

5月22日の短期的要請では、脆弱性への迅速な対応や重要な外部公開システムの保護が重点的に取り上げられた[11]。一方、今回の事案は、委託先や周辺システムに預けた顧客データまで含めて、組織全体のアタックサーフェスとリスクを把握する必要性を改めて示した。なお、金融庁は別途、「金融分野におけるサイバーセキュリティに関するガイドライン」でサードパーティリスク管理を求めており[17]、5月の要請だけをもって委託先対策が欠落していたと評価することは適切ではない。10月9日の注意喚起でも、このガイドラインなどを踏まえ、委託先を含むサードパーティのリスク管理の再点検をあらためて求めている[12]。

一方で、筆者が確認した範囲では、それ以外の部分、つまり銀行の基幹系やインターネットバンキングなど、要請が最優先とした金融機関自身の中核システムが直接破られたという公表は見当たらない。公表がないことは被害がないことを意味しているわけではないし、これを要請の効果と断定する材料もないが、守りを固めるよう求められた中心部ではなく、その外側から入られたという構図ははっきりしている。4月の文書のアクション7(アタックサーフェスの棚卸しと縮小)は、自社のシステムだけでなく、委託先や外部に預けたデータまでを範囲に含めなければならない。

4. 「四半期の行動」は間に合ったのか

では、4月の文書が求めた行動は、この半年に間に合ったのだろうか。各組織がどこまで実行したかを示す資料はなく、実行した組織の被害が少なかったかどうかも検証できない。ただ、9月以降に突かれた弱点と、優先アクションを並べてみると、どの行動が問われたのかは見えてくる。

9月以降の事案で問われたこと対応する優先アクション4月時点の目安
既知の脆弱性の放置5. 継続的なパッチ適用に備える45日
公開されたAPI、アプリ、委託先のシステムの把握漏れ7. アタックサーフェスの棚卸しと縮小90日
認証情報の悪用、横展開8. 環境の堅牢化(フィッシング耐性MFA、セグメンテーション)6か月
影響範囲と復旧速度の評価6. リスクモデルと報告の更新45日
大量・短時間のアクセスの検知と遮断10. 自動対応の能力12か月

問われたのは、新しいAI防御の仕組みではなく、45日から90日で終えるはずだった基本だった。4月の文書が「基本への集中を強めよ」をKey Takeawaysの一つに掲げていたことを、改めて思い起こしたい。

まだ基本ができていない組織へ

この半年で最も大きく変わったのは、攻撃の費用である。1標的あたり約25ドルで自動化された攻撃を仕掛けられるのであれば[5]、「うちは狙われるほどの価値がない」という前提は成り立たなくなりつつある。警察庁の統計でも、2026年上半期のランサムウェア被害123件のうち79件は中小企業だった[9]。規模や業種にかかわらず、基本の穴がある組織は、手頃なAIによる網羅的な探索の対象になると考えるべきである。

4月の文書が45日から90日で求めた基本が、まだできていない組織は少なくないはずだ。そうした組織に必要なのは、次の四半期の計画を立てることよりも、今すぐ着手することであると考える。少なくとも次の点は、新しい製品を導入しなくても速やかに取り組める内容である。

  • 外部から見えるものを棚卸しする:Webサイト、管理画面、API、スマートフォンアプリ、VPN機器に加え、委託先のシステムに預けている顧客データも対象に含める
  • 既知の脆弱性を塞ぐ:特に、すでに悪用が確認されている脆弱性(KEV)を優先して修正する[16]
  • 認証を固める:管理画面と特権IDに多要素認証を導入し、使われていないアカウントやテスト環境を削除する
  • APIとアプリを見直す:アプリに秘密鍵や長期間有効な認証情報を埋め込まない。サーバー側で認証・認可を行い、レート制限と異常なアクセスの監視を設ける[7]
  • 持たなくてよいデータを捨てる:退会者の情報や、目的を終えた本人確認書類の画像など、保有し続ける理由のないデータを削除する

この5項目は、全体として、JPCERT/CCが一連の事案を受けて推奨した対策や、4月の文書の優先アクション5、7、8と重なる。攻撃が機械速度で網羅的に行われる以上、守りの穴は「いつか見つかる」のではなく「すぐに見つかる」と考えて動く必要がある。

5. まとめ:短期の対応が必要だという見立ては裏付けられた

4月の文書が示した短期間での対応の必要性は、この半年に観測されたAI利用攻撃の進展によって、改めて裏付けられた。一方、日本で相次いだインシデントがすべてAIの普及によって引き起こされたと結論づけることも難しい。今回明らかになったのは、攻撃の自動化が進む環境において、従来から存在する脆弱性や認証・認可の不備への対応を先送りできなくなっていることである。問われたのは、先送りしてきた基本であった。

次の半年に向けて考えておくべきことが二つある。第一に、オープンウェイトモデルが同等の能力に達するという「6か月から1年」の時期に、いま入りつつある。攻撃の民主化はさらに進む前提で備える必要がある。第二に、4月の文書が6か月から12か月の目安としていたアクション、つまり環境の堅牢化、ディセプション、自動対応、そしてVulnOpsの立ち上げが、これから本番を迎える。

Mythosレディとは、一度到達すれば終わる状態ではない。次の四半期に何をするかを、四半期ごとに見直し続けることである。半年前の文書は、そのことを予告していたといえる。

参考資料

以上

CCZT合格体験記

2026年10月13日
キンドリルジャパン株式会社 河合 淳一

2026年3月12日に、Cloud Security Alliance(CSA)が提供するCertificate of Competence in Zero Trust(CCZT)に合格しました。

以前からZero Trustには関心があり、関連する業務や勉強会にも関わってきましたが、体系的に理解できているかというと、かなり不安がありました。

今回、資格取得を目標に学習を進めたことで、Zero Trustの考え方をかなり整理できたように思います。受験の経緯や学習方法、受験後の感想などをご紹介します。

■ CCZTとは

CCZTは、CSAが提供するZero Trustに関するベンダーニュートラルな資格です。特定の製品やサービスの知識ではなく、Zero Trustの基本原則、アーキテクチャ、導入戦略や計画などについての理解が問われます。

私が受験した2026年3月時点の試験概要は以下の通りです。

  • 試験時間:120分
  • 問題数:60問(選択式)
  • 合格基準:正答率80%以上
  • 受験料:175米ドル(2回まで受験可能)
  • 試験言語:英語
  • 試験方式:オンライン、オープンブック

私が受験した際には、試験会場へ出向く必要はなく、自分のPCから都合の良い時間に受験できました。

なお、2026年10月4日からは日本語での受験も可能になりました。試験制度は変更される可能性があるため、最新情報はCSA公式サイトをご確認ください。

■ これまでの経験と保有資格

私はIT業界で30年以上、主にサーバやネットワークなどのインフラ運用、セキュリティマネージャ、セキュリティ領域中心のアーキテクトなどの仕事に携わってきました。現在は主としてセキュリティ関連のプリセールスやコンサルティングを担当しており、アーキテクト研修の講師や、社内のセキュリティ技術コミュニティの運営なども行っています。

保有資格にはCISSP、CCSP、AWS Solutions Architect – Associate、AWS Security Specialty、G検定などがあり、資格取得にあたっては、個別製品の操作や設定方法よりも、長く使えて陳腐化しにくい知識を身に付けることを重視しています。例えば、2014年に取得したCISSPでは「リスクの考え方」を、2020年に取得したCCSPでは「クラウドの責任共有モデル」を叩き込まれたと感じています。今回のCCZTにも、同じような効果を期待していました。

■ CCZT受験のきっかけ

Zero Trustについて最初に本格的に勉強したのは、2022年頃に実施したNIST SP 800-207の社内勉強会でした。当時すでにCISSPとCCSPを取得していましたが、それでもNISTの文書を理解するのはなかなか大変でした。Zero Trustの本質を理解できていたかというと、残念ながらそうではなかったように思います。2023年6月には、Palo Alto NetworksのPSE-SASEという資格も取得しました。ただし、こちらは製品知識を中心とした学習で、私の場合は短期間の試験対策で合格できたものの、実案件で利用する機会がなかったこともあり、知識がほとんど定着せず、結局、資格も更新せず失効しました。そんな中、2024年7月にCSAジャパンのFacebookグループでCCZTの存在を知りました。特定のベンダーに依存せずZero Trustを体系的に学べる資格ということで、興味を持ちました。

2025年4月には、年度内(2026年3月まで)のCCZT取得を個人目標に設定しました。目標に入れておけば、さすがに勉強するだろう、という自分へのプレッシャーです。さらに2026年1月、Zero Trustに関連する提案案件に参画することになりました。提案に関わる中で、やはりZero Trustについてきちんと説明できるレベルになっておく必要があると感じました。

もう一つ、2026年4月から社内で「セキュリティ×アーキテクチャ」をテーマとするワーキンググループ(WG)を開始する計画がありました。NIST SP 800-207を主要教材として利用する予定だったため、メンバー募集を始める3月中旬までには合格しておきたいと考えました。

こうして、いくつかの事情が重なり、ようやく本格的な受験準備を始めることになりました。

■ 使用した教材

CCZT Prep Kit

学習の中心は、CSA公式サイトから入手できるCCZT Prep Kitです。

今回、知識習得のための教材は基本的にこのPrep Kitに含まれる文献だけを使用しました。ほかにUdemyの模擬試験を利用しましたが、別の参考書や有料講座などは使用していません。Prep Kitには複数の文献が含まれています。私が特に重要と感じたものを以下に挙げます。

資料重要度主な学習ポイント
NIST SP 800-207 – Zero Trust Architecture最重要Zero Trustの7 Tenets、PE/PA/PEP、アーキテクチャと実装アプローチ
CISA Zero Trust Maturity Model v2.0最重要5 Pillars、成熟度4段階、横断的なCapabilities
NSTAC REPORT TO THE PRESIDENT最重要Five-Step Process、導入戦略、ガバナンス
Introduction to SDP Study Guide重要SPA、mTLS、IH/AH、Controller、Deployment Modelsなど
Mapping ZTA components to SDP重要上記コンポーネントとPE/PA/PEPとのマッピング
Zero Trust Planning Study Guide重要計画策定、リスク評価、責任分担、移行計画
Sample Questions(50問)重要CSA公式の設問形式、用語、出題観点

※重要度は私自身の学習における評価です。試験の出題比率を表したものではありません。中でもAuthoritative Sourcesフォルダに含まれるNIST SP 800-207、CISA Zero Trust Maturity Model、NSTAC REPORTの3つは、Zero Trustをアーキテクチャ、成熟度、導入戦略という異なる視点から理解するうえで重要だったと思います。

Udemyの模擬試験

Prep Kit以外には、Udemyで以下の2つの模擬試験を購入しました。

  • CCZT 2026 Practice Tests and Questions(6回分)
  • Certificate of Competence in Zero Trust (CCZT) – Exam Tests(5回分、現在は利用できないようです)

いずれも英語の問題集で、ディスカウント時にそれぞれ1,500円程度で購入しました。

■ 学習方法

AIをフル活用

2026年1月末頃から3月初旬にかけて、Prep Kitの学習を進めました。これまで資格試験の勉強では、文献を自力で読み、重要なポイントをExcelやOneNoteに整理する方法を取ることが多かったのですが、今回はAI(ChatGPT Enterprise)をフル活用しました。

具体的には、以下のような方法です。

  1. Prep Kitの重要文献をAIに要約してもらう
  2. 要約結果をOneNoteにコピーし、重要なポイントを赤字などで整理する
  3. その他の文献もAIで要約し、全体を把握したうえで流し読みする
  4. 理解できない箇所はAIと繰り返し議論する

特に意識したのは、AIにZero Trustの一般論を説明してもらうのではなく、指定した原文に沿って要約してもらうことです。一般的な解説としては正しくても、試験教材に書かれていることと微妙に異なっていては困ります。また、AIの説明で納得できない場合には、原文に戻って確認することも重要だと思います。

AIとの壁打ちも役に立ちました。例えば、NIST SP 800-207に登場するPolicy Engine(PE)、Policy Administrator(PA)、Policy Enforcement Point(PEP)について、何となく分かったつもりでも、それぞれの責務を明確に説明しようとすると、意外と難しいものです。AIに質問するだけでなく、自分なりの理解を説明し、その解釈が妥当かを議論することで、理解を深めました。

■ 暗記よりも構造の理解を重視

CCZTはオープンブック試験ですので、文献に書かれている細かい内容をすべて暗記することには、あまり意味がないと考えました。むしろ、Zero Trustを構成する要素の役割や相互関係を理解することを重視しました。

特に意識したのは、次のようなポイントです。

NIST SP 800-207

  • Zero Trustの7 Tenets
  • PE、PA、PEPの責務の違い
  • アクセス判断に利用されるData Sources
  • ZTAの各種アプローチやDeployment Variations

Zero Trustは単一の製品や技術を導入すれば完成するものではありません。組織の環境や要件に応じて、複数の技術やアプローチを組み合わせる必要があると理解しました。

Software Defined Perimeter(SDP)

  • Single Packet Authorization(SPA)
  • Mutual TLS(mTLS)
  • Controller
  • Initiating Host(IH)とAccepting Host(AH)
  • 各種Deployment Models

SDPについても、個々の用語を覚えるだけではなく、それぞれが何の役割を担い、どのように連携するのかを理解するようにしました。また、以前IBMからKyndrylへの分社独立を経験した際、利用者として社内IT環境の変化を体験しています。そうした実体験も思い出しながら学習することで、抽象的な概念を具体的にイメージしやすくなりました。

■ 模擬試験への取り組み

3月上旬、4日間程度でUdemyの模擬試験11回分を受験しました。模擬試験では、本番とは異なり、あえて何も参照せずに解答しました。また、時間をかけて調べたり、何度も見直したりすることはせず、できるだけ短時間で気楽に解答する方針にしました。かなりリラックスして取り組んでいたと思います(笑)。

結果は以下の通りでした。

模擬試験各回の正答率
CCZT 2026 Practice Tests and Questions85%、85%、83%、86%、81%、81%
Certificate of Competence in Zero Trust (CCZT) – Exam Tests78%、86%、74%、82%、80%

一部で80%を下回りましたが、想定していたよりも良い結果でした。なお、Udemyの模擬試験には、問題文や正答、解説に疑問を感じるものもありました。そうした問題についてはAIと議論し、必要に応じて原文を確認して理解を深めました。また、上記の正答率には、疑問を感じた問題もそのまま含めています。

模擬試験を通じて、問題文や選択肢の表現に慣れることもできました。実際の試験でも解釈に迷う問題はあり得るため、そうした問題への対応を経験できたことにも意味があったと思います。模擬試験ではおおむね合格ラインに達していたので、これ以上勉強を続けるよりも、そろそろ本番を受けてみようと判断しました。

■ 受験当日

2026年3月12日(木)の朝、仕事を始める前に受験しました。

事前にCSAの試験サイトで登録を済ませ、試験開始までの流れを確認しておきました。CCZTは試験会場の予約が不要で、自分の都合の良いタイミングで受験できるのが便利です。

結果は、1回目の受験で正答率90%、無事合格でした。ただし、決して楽な試験だったわけではありません。オープンブックとはいえ、合格ラインが80%で比較的高く、かつ、判断に迷う問題がかなりありました。Prep Kitを毎回参照していたのでは時間が足りなくなると思います。私自身、すべての問題を解答した後に見直しを行いましたが、試験終了まで数分しか残りませんでした。オープンブックだから簡単、という試験ではないと感じました。

■ 受験を終えて

今回のCCZT取得は、期待していた以上に有意義だったと思います。以前取得したベンダー資格では、製品固有の機能や設定を覚えることが中心になり、実案件で使わないと知識が定着しにくいと感じることがありました。一方、CCZTでは、Zero Trustを構成する要素やその役割、相互関係を理解することが重要でした。

特に印象に残っているのは、PE、PA、PEPの責務の違いです。以前取得したCISSPではリスクの考え方を、CCSPでは責任共有モデルを叩き込まれたと感じていますが、CCZTではPE/PA/PEPの責務を叩き込まれたという感覚があります。

もちろん、資格を取得しただけでZero Trustのすべてを理解できたわけではありません。しかし、個々の製品やサービスに依存せず、Zero Trustをアーキテクチャとして考えるための土台を得られたことは大きな収穫でした。こうした知識は比較的陳腐化しにくく、さまざまな業務に応用できると考えています。

■ 取得した知識の活用

実案件での活用

現在の業務では、Zero Trustに直接・間接的に関係する案件に携わることが少なくありません。その中では、Zero Trust製品やサービスを導入すれば短期間でZero Trust化が完了するかのような認識に接することもあります。

また、Zero Trustを議論する以前に、セキュリティ資産管理、IDとアクセス制御など、従来から重要とされてきたセキュリティの基本に課題が残っているケースもあります。CCZTの学習を通じてZero Trustの全体像を整理できたことで、そうした問題に比較的早い段階で気付き、何を優先して検討すべきかを考えやすくなったと感じています。

社内WGでの活用

合格翌日の2026年3月13日、社内で「セキュリティ×アーキテクチャ」をテーマとするWGのメンバー募集を開始しました。WGは4月から活動を開始し、NIST SP 800-207を主要教材として、Zero Trustの基本原則や論理コンポーネントについて学習・ディスカッションを進めています。

私自身、CCZTの学習では理解に苦労した部分も多かったため、その経験を踏まえて、メンバーが段階的に理解を深められるように学習の進め方を考えました。例えば、NISTのPE/PA/PEPやData Sourcesを学んだ後、具体的な製品・サービスがどのような機能を持ち、論理コンポーネントにどう対応するのかを考える、といった進め方です。

WGにはさまざまな専門分野のメンバーが参加しており、私自身が知らない製品やサービスについては、メンバーから教えてもらうことも多くあります。資格取得で得た知識をWGで活用し、ディスカッションを通じてさらに理解を深めるという良い循環ができているように思います。

また、2026年7月にはCSAジャパンのWGセミナーで「企業内技術コミュニティ活動のすすめ」というタイトルで登壇し、これまでのWG活動や運営上の工夫などをご紹介する機会もいただきました(講演資料・録画)。

■ これから受験される方へ

CCZTは、Zero Trustを製品の観点だけでなく、アーキテクチャとして体系的に理解したい方におすすめできる資格だと思います。特に、セキュリティアーキテクト、コンサルタント、Zero Trust関連の提案・設計に携わる方には、学ぶ価値があると感じています。

受験にあたっては、まずCSA公式のPrep Kitを十分に活用することをおすすめします。オープンブック試験ですが、試験中に文献を調べれば何とかなると考えるのではなく、重要な概念や構成要素の役割を事前に理解しておくことが大切です。

また、今回の私のようにAIを学習補助として活用するのも一つの方法だと思います。単に要約を作らせるだけでなく、分からないことを質問したり、自分の理解が正しいか議論したりすることで、学習効率を高められます。

私は、資格取得の価値は合格証そのものよりも、そこに至るまでの学習で何を身に付けられたかにあると考えています。今回のCCZTでは、Zero Trustを理解するための考え方や構造を整理できたことが、何よりの収穫でした。今後も実案件やWG活動を通じて、さらに理解を深めていきたいと思います。

以上

クラウドサービスにおけるバックアップの責任分担と復旧可能性 ~ IDCフロンティアのセキュリティ事故とAWSの契約条件を踏まえた考察

2026年10月15日更新
2026年10月11日
ガイダンスWGリーダー 諸角昌宏

【第5報反映】改訂箇所の表示:赤色マーカーおよび「【第5報反映】」は、2026年10月14日付第5報を受けた追記・修正を示す。

要旨

【第5報反映】IDCフロンティアの事故では、当初はデータの取り出し・復元が困難とされたが、10月14日付第5報により、影響を受けた495の企業・自治体のうち、スナップショット機能を利用する194の利用者についてバックアップデータを取り出せることが確認された。ただし、復元の可否は引き続き確認中である。

背景

2026年10月、IDCフロンティアが提供するクラウドサービス「IDCFクラウド」において、ランサムウェアによる被害が発生し、一部の顧客の仮想マシンやデータの利用に影響が生じた。この事故は、クラウドサービスにおけるデータ保護やバックアップのあり方、特にクラウドサービスプロバイダ(CSP)とクラウドサービスカスタマ(CSC)の責任分担について、改めて考える契機となる。

クラウドサービスでは、一般に責任共有モデルに基づき、CSPとCSCがそれぞれの責任を負う。しかし、バックアップについては、「クラウドに保存したデータはCSCが自らバックアップしなければならない」という理解がある一方、CSPがバックアップ機能を提供し、その取得・保存・復元処理を実施するサービスも存在する。このため、CSPが提供するバックアップ機能を利用している場合にも、CSCが独立したバックアップを取得する必要があるのか、また、バックアップの取得・保存・復元に関して、CSPとCSCはそれぞれどのような責任を負うのかという点を整理する必要がある。

本ブログでは、IDCフロンティアの事故を検討の契機として、ISO/IEC 27017における責任分担の考え方、IDCフロンティアおよびAWSの公開資料、データ耐久性とバックアップの違いなどを整理し、CSCがバックアップをどのように確保すべきかを考察する。

なお、本ブログは、IDCフロンティアの事故原因、同社のセキュリティ対策の適否、契約違反の有無、法的責任の所在を判断するものではない。事故に関する記述は公開情報に基づくものであり、今後の調査結果によって変更される可能性がある。

注)本ブログでは、ISO/IEC 27017で用いられている用語に従い、クラウドサービスプロバイダを「CSP(Cloud Service Provider)」、クラウドサービスカスタマを「CSC(Cloud Service Customer)」と表記する。なお、契約条件や公表資料からの引用については、原文の表記を維持する。

要旨

CSCが、必ず自らバックアップを取得しなければならないとは言い切れない。CSCは必要なデータ保護要件を定義し、それが満たされるように確保・確認する責任を負う。一方、バックアップ取得・保持・復元の実行は、契約と設定に応じてCSPが担い得る。IDCフロンティアの事故では、複数ゾーンの顧客データの取り出し・復元が困難とされた点が重大であるが、独立した有料バックアップサービスの保存データが失われたか、契約どおりに復元できたかは現時点では未確定である。

1.基本概念:責任と作業の区別

「CSCにバックアップ確保責任がある」ことは「CSCが独自の別システムを構築してバックアップを実行する義務がある」ことと同義ではない。また、CSPにバックアップ処理を委ねても、CSCによる要件定義・契約評価・設定確認の責任が当然に消滅するわけではない。整理すると以下の表になる。

区分意味典型的な担当
要求事項の定義・確保責任保護対象、RPO、RTO、保存期間、攻撃耐性を定め、充足を確認CSC
取得・保存の実施責任設定された計画に基づきバックアップを取得・保持契約・サービス仕様に応じてCSPまたはCSCが実施
バックアップの保護責任削除・改ざん・権限侵害からの保護契約・サービス仕様に応じてCSPとCSCが分担
復旧と検証復元手順、定期試験、代替環境への復旧契約・設定による分担

2. ISO/IEC 27017の要件

ISO/IEC 27017では、CSCに対して以下の2点を要求している(なお、ここの記述はISO/IEC 27017の手引きの記載内容を意訳したものである):

  1. CSPがバックアップ機能を提供している場合、CSCはその仕様を要求することが望ましい。CSCはその仕様が自らの要求事項を満たすことを検証する。
  2. CSPのバックアップ機能がCSCの要求事項を満たさない場合、CSCがバックアップ機能の導入に責任を負う。

これらはCSPによるバックアップ機能の提供を想定し、機能が提供されないあるいは機能が要求事項を満たさない場合のCSCの責任を明確化している。一方、「CSPが機能を提供すればCSPが全責任を負う」と結論することはできない。機能の有無、実際の有効化・取得、保存・復元条件、契約上の役割分担を確認する必要がある。

3.クラウドバックアップの技術要件

クラウドバックアップの技術的な要件は以下のようになる。

観点検証ポイント
保護対象仮想ディスクだけでなく、アプリケーション、データベース、設定、鍵、復元に必要なメタデータを含んでいるか
独立性本番とは別の障害領域、管理権限、可能なら別アカウント・別拠点に分離されているか
耐改ざん性イミュータブル保管、削除防止、保持期間、特権ID侵害時の防御があるか
復旧可能性実際に復元できるか、整合性・RPO・RTOを満たすか、定期試験があるか
責任と透明性バックアップ機能の仕様、除外範囲、前提設定、障害時の制約がCSCに明示されているか

したがって、スナップショットは迅速な復旧に有効だが、管理基盤の侵害から独立していなければ、ランサムウェアに対する十分な復旧手段とは限らない。保存先の物理的分離と、削除・改ざん権限の分離は別の要件である。

4.IDCフロンティアの公開仕様・契約条件

IDCフロンティアの公開情報には、標準IaaSで顧客の責任の下にバックアップ等を行う旨のサービス提供条件がある。また、スナップショット機能と、別拠点のストレージを利用する「IDCFクラウド バックアップ」を区別して提供している。公開FAQでは、スナップショットにはランサムウェア対策がない一方、バックアップサービスにはイミュータブルストレージがあると説明している。

このため、標準IaaSでの顧客のバックアップ確保責任は確認できるが、バックアップサービスを別途契約・設定していた顧客に対するCSPの個別の履行責任は、サービス仕様書・約款・個別契約を併せて検討しなければならない。

なお、IDCフロンティアの契約には、顧客データの消失などによる損害について、同社が賠償責任を負わない旨の免責条項がある。しかし、免責条項が存在するからといって、すべての事故について同社が責任を免れるとは限らない。実際に免責が認められるかどうかは、事故原因、同社の過失の有無や程度、適用される契約条件などによって判断される。特に、故意または重大な過失があった場合には、免責条項の効力が制限される可能性がある。

5.AWSの契約・サービスとの比較

AWS Customer Agreement 第2.3条(Your Security and Backup)は、顧客がサービスを適切に設定・利用し、アカウントと顧客コンテンツの保護・バックアップのため適切な措置を講じる責任を定めている。AWS Backupでは顧客がバックアップ計画・対象等を設定し、AWSがマネージドサービスとして取得・保存・復元機能を提供する。Vault Lock、クロスアカウント・クロスリージョンコピー、復元テスト等の機能もある。

論点IDCフロンティアAWS
標準IaaSのバックアップ確保責任原則として顧客原則として顧客
CSP提供のバックアップスナップショット、別拠点バックアップEBSスナップショット、AWS Backup等
保護機能別拠点・イミュータブル機能(サービス別)Vault Lock等(構成・サービス別)
CSPのサービス履行責任個別仕様・約款の検証が必要契約・サービス条件の検証が必要

AWSであっても顧客による適切な設定や復元試験は重要であり、AWSの機能があること自体は、いかなる事故でもデータが失われないという保証ではない。

6.IDCフロンティア事故:確認事項と未解明事項

公開情報から確認されている事項

【第5報反映】2026年10月7日からの不正アクセスによる障害は、東日本リージョン1のtesla、henry、pascal、jouleの4ゾーンに影響した。当初IDCフロンティアは、対象データの取り出し・復元が困難との見通しを示していた。しかし10月14日付第5報では、影響を受けた495の企業・自治体のうち、スナップショット機能を利用していた194の利用者について、バックアップデータの取り出しが可能と確認したと公表した。取り出したデータの復元可否と提供方法は引き続き確認中である。これは本番環境の停止に加え、事故後のデータ回収・復元能力がCSCの事業継続に直結することを示している。

【第5報反映】第5報による情報流出の調査結果:IDCフロンティアは、対象4ゾーンの仮想サーバー内データについて、外部持ち出しを示す痕跡等は確認されず、流出はなかったと判断した。一方、クラウドポータルでは48社の登録情報への不正な照会を確認しており、仮想サーバー内データとポータル登録情報を区別して評価する必要がある。

未解明であり、断定してはならない事項

【第5報反映】第5報時点で、スナップショットデータの「取り出し可能」と「実際に正常復元できる」は同義ではない。また、194という数字はスナップショット利用者についての公表値であり、残る301の利用者にバックアップがない、または復元できないと断定できない。スナップショットと別サービスの「IDCFクラウドバックアップ」も区別する。侵入経路の全容、攻撃者の破壊主張の真偽、バックアップサービスの個別契約に対する履行状況については、追加の証拠が必要である。

未解明の論点評価に必要な証拠
4ゾーンに被害が及んだ経路侵入経路、共通管理プレーン、特権ID、ゾーン間の権限・障害分離
スナップショットの被害194利用者分のスナップショットデータは取り出し可能。復元可否は確認中
別拠点バックアップの健全性別サービスの「IDCFクラウド バックアップ」の状況は区別して確認
有料バックアップ利用顧客の復元実績契約・設定状況、RPO/RTO、復元成功率・所要時間
責任分担と契約履行事故当時の適用約款、サービス仕様書、個別契約、保証・免責条件

【第5報反映】第5報により、一部のスナップショットデータを取り出せる可能性が具体的に確認された点は、当初の復旧見通しを更新する重要な事実である。一方、復元成功、RPO・RTOの達成、別途契約されたバックアップサービスの履行状況は、この発表だけでは確定できない。したがって、CSP提供バックアップが一律に機能しなかったとも、十分に機能したとも断定できない。

なお、攻撃者が主張した破壊件数や容量は、事業者が裏付けた確定事実とは扱わない。また、4ゾーンに影響が出たことだけから、テナント分離の破綻やバックアップ基盤の共通障害を断定することはできない。

まとめ

  1. 「CSCは自らバックアップを取得しなければならない」との一律の表現は不正確である。
  2. 「CSCが必要なバックアップを確保・確認する責任を負う」は一般的なIaaS契約と整合する。
  3. CSPが提供するバックアップ機能がCSCの要求事項を満たし、適切に契約・設定され、バックアップの取得・保存・復元が可能であれば、CSCが別途、独立したバックアップを取得することは必ずしも必要ではない。
  4. この場合、CSCは必要なバックアップの要件を定め、実際に復元できることを確認する責任を負い、CSPは契約に従ってバックアップサービスを提供する責任を負う。また、CSPには、バックアップサービスの提供に加えて、クラウド基盤そのものを適切に保護する責任もある。

IDCフロンティアについては、4ゾーンの本番データが復元困難となったこと自体が重大である。一方、CSPが提供した独立バックアップが契約どおり機能しなかったと断定するには、バックアップ利用顧客の復元実績と事故時点の適用契約の確認が不可欠である。

8.クラウドサービスカスタマへのバックアップ推奨事項

基本原則:CSPのバックアップ機能がCSCの要求事項を満たし、適切に契約・設定され、必要なバックアップが実際に取得・保持され、復元可能であることが検証されているなら、CSCが独立したバックアップを必ず追加する必要はない。これは「独立したバックアップは不要」という一般論ではなく、リスク評価に基づく条件付きの判断である。

CSCは、バックアップ処理を自ら実施することと、必要なデータ保護・復旧能力を確保する責任を区別する。CSPに実施を委ねる場合でも、要件定義、契約・設定確認、復元可能性の検証は必要である。

推奨する確認事項

以下の確認事項は、CSCが独立したバックアップを取得することを前提とするものではなく、CSPが提供するバックアップ機能によってCSCの要求事項を満たせるかを確認するためのものである。要求事項が満たされ、残余リスクも許容できる場合には、CSCが独立したバックアップを追加することは必須ではない。

  • 保護対象:仮想マシン、ディスク、データベース、設定、暗号鍵、認証情報など、復旧に必要な要素を漏れなく特定する。
  • 復旧目標:許容データ損失(RPO)、目標復旧時間(RTO)、保存期間、世代数、データ整合性を明確にする。
  • 契約・仕様:CSPが取得・保持・保護・復元のどこまでを担うか、除外事項、SLA、免責、障害時の支援を確認する。
  • 設定・運用:バックアップ対象の割当て、スケジュール、保持設定、失敗通知、アクセス権限を点検する。
  • 攻撃耐性:本番環境との管理権限の分離、削除・改ざん防止(イミュータビリティ)、別拠点・別アカウント等の必要性をリスクに応じて評価する。
  • 復元検証:バックアップの存在確認だけでなく、定期的な復元試験でデータ整合性、復元時間、代替環境への復旧を検証する。
  • 残余リスク:CSPの管理基盤への不正アクセス、リージョン全体の障害、契約終了時のデータ移行、特定事業者への依存などのリスクを評価する。その結果、CSPが提供するバックアップ機能だけではCSCの要求事項を満たせない場合や、追加の保護が必要と判断される場合には、CSPから独立したバックアップの導入を検討する。

独立した追加バックアップの要否を判断する基準

追加が必須とは限らない例:CSP提供機能で必要なRPO・RTO、保持、改ざん防止、管理権限分離、復元試験が満たされ、想定脅威に対する残余リスクを組織が受容できる場合。

追加を検討すべき例:CSP提供機能が本番環境と同じ侵害経路に依存する場合、復元試験ができない場合、リージョン全体の喪失やCSP管理基盤の侵害を想定する場合、法令・契約上の独立保管要件がある場合。

【第5報反映】IDCフロンティア事故への適用:第5報ではスナップショット利用者194のバックアップデータについて取り出し可能と確認されたが、復元の可否は確認中である。CSCの要件設定・検証責任と、CSPの基盤保護・契約サービス提供責任を区別する。別サービスの「IDCFクラウド バックアップ」の個別復元実績を、このスナップショットの報告からはわからない。

IDCフロンティア事故への適用:標準IaaSのバックアップ確保責任と、契約済みバックアップサービスの履行責任を分けて評価する。バックアップサービス利用顧客の復元実績、保存データの健全性、管理権限分離が未公表である限り、サービス自体の失敗も成功も断定しない。

参考:AWS Backupの公式資料では、クラウドサービスカスタマがバックアップ計画と対象リソースを適切に設定し、定期的に復元可能性を検証する責任を負うことが明記されている。一方、バックアップの取得・保持や復元テストの実行については、AWS Backupの自動化機能を利用できる。したがって、カスタマがすべてのバックアップ処理や復元テストを自ら実施する必要はない。ただし、バックアップの対象、保持期間、復旧目標、復元結果などが組織の要求事項を満たしていることを確認する責任はカスタマに残る。
https://docs.aws.amazon.com/ja_jp/wellarchitected/latest/framework/rel_backing_up_data_secured_backups_data.html

9.データ耐久性(11ナイン)とバックアップの関係

AWSがAmazon S3 Standardについて公表する99.999999999%(イレブンナイン)は、年間のオブジェクト耐久性に関する設計上の数値である。これはサービスの可用性、バックアップの取得状況、過去の正常な状態への復元可能性、または損害賠償を保証する数値ではない。

耐久性は、保存済みデータがストレージ障害等によって失われにくい性質を指している。一方、バックアップは、誤削除、論理的な破損、悪意ある変更、ランサムウェア攻撃などを想定し、必要な過去時点のデータを保持して復元するための手段である。複数のアベイラビリティゾーン(AZ)にデータを分散して保存していても、誤削除やランサムウェア攻撃によって変更されたデータが他のAZにも反映される場合がある。そのため、複数AZへの冗長配置だけでは、障害や攻撃が発生する前の正常なデータに復元できるとは限らない。

CSCへの推奨事項

CSCは、CSPが公表する耐久性の数値のみを根拠に、バックアップが不要と判断してはならない。データの重要度、誤削除・改ざん・管理権限侵害・リージョン障害等の想定事象、必要な保存世代、RPO・RTOを定義し、提供されるバックアップ機能の保護範囲と復元手段を評価する必要がある。

一方、CSPのバックアップ機能がCSCの要求事項を満たし、適切に契約・設定され、バックアップが実際に取得・保持され、想定する障害・攻撃に対して復元可能であることを検証できる場合、CSCがCSPとは独立したバックアップを必ず追加する必要はない。追加バックアップの要否は、共通管理権限への依存、削除・改ざん耐性、別アカウント・別リージョンでの保管、復元試験の結果、リスク許容度に応じて判断する。

【第5報反映】第5報は、ストレージの耐久性、バックアップデータの取り出し可能性、業務システムの復元成功が別々の評価項目であることを示している。スナップショット利用者194のデータが取り出せると確認された一方、復元の可否は確認中である。CSPのバックアップ機能が要求事項を満たすかは、正常な復元の実績、RPO・RTO、保護設定、管理権限の独立性などで評価する。

IDCフロンティア事故との関係

今回の事故の評価では、ストレージの耐久性に関する数値と、侵害後に正常なバックアップから復元できるかを混同すべきではない。重要なのは、各バックアップ方式が本番環境や管理プレーンの侵害からどの程度独立し、契約・仕様に沿って復元可能だったかである。事故におけるバックアップデータの実際の被害範囲と復元実績は、公開情報だけでは確定できない。

10. 免責事項

本ブログは、公開時点で入手可能な公表資料、契約条件、技術文書および関連規格に基づき、クラウドサービスにおけるバックアップの責任分担とデータ保護の考え方を整理したものである。

特定のクラウドサービスプロバイダの事故原因、セキュリティ対策の適否、契約違反の有無、法的責任の所在などについて、断定的な評価を行うことを目的とするものではない。

本ブログに記載した事実関係は公開時点の情報に基づいており、今後の調査結果や新たな情報の公表によって変更される可能性がある。また、ISO/IEC規格や各種ガイドラインに関する記述は、筆者による解釈・考察を含むものであり、規格制定機関等の公式見解を示すものではない。

本ブログは一般的な技術情報および制度上の考察を提供するものであり、個別の契約に関する法的助言や、特定のシステムに対するセキュリティ対策の有効性を保証するものではない。具体的な判断にあたっては、適用される契約条件、サービス仕様および組織の要求事項を確認し、必要に応じて専門家に相談すること。

11. 参考資料

以上

最近、なぜセキュリティ事故が多いのか ~ AI時代のサイバー攻撃を考える

2026年10月16日更新
2026年10月9日更新
2026年10月7日初版
AIWGメンバー 諸角昌宏

【2026年10月16日 更新】10月16日分を赤色で示す。10月16日更新内容は、JPCERT/CCによる攻撃者のAI利用の確認(第4章、第12章)部分である。結論と3層の整理は変更していない。

【2026年10月9日 更新】初版の公開後に確認した情報を追記した(緑字で示す)。追記したのは、警察庁の2026年上半期の統計、AIの悪用を指摘する報道とGambit Securityの報告、金融庁・日本銀行の要請である。結論と3層の整理は変更していない。

2026年に入り、日本国内でサイバー攻撃や情報漏洩、ランサムウェア、不正アクセスなどの情報セキュリティ事故が相次いで公表されている。特に夏から秋にかけては、企業、大学、公共機関などさまざまな組織からインシデントが公表され、「最近、セキュリティ事故が増えているのではないか」と感じる機会が多くなった。一方、2026年は生成AIやAIエージェントの利用が急速に広がった年でもある。そこで気になるのが、「最近のセキュリティ事故の多発とAIの普及には関係があるのか」である。

本ブログでは、警察庁、IPA、Verizon、IBM X-Force、Google Cloud/Mandiantなどの公開情報、および国内の民間調査を基に、この問題を整理する。そのうえで、CSAジャパンブログに掲載された筆者の「Mythosレディ」シリーズで示した3層(基本対策、ゼロトラスト、VulnOps / CTEM)に沿って、対策をまとめてみる。

本当にセキュリティ事故は増えているのか

最初に注意しなければならないのは、「ニュースで目にする事故が増えた」ことと「実際のインシデント発生率が増えた」ことは同じではないという点である。デジタルアーツ株式会社が、対象組織による公開報告書およびマスメディアの報道資料を基に独自集計した「2026年上半期国内セキュリティインシデント集計」によれば、2026年1~6月に情報漏えい等のセキュリティインシデントによる被害・影響を公表した国内組織は727件であった。このうち「不正アクセス」が267件で最も多く、「マルウェア感染」が153件でこれに続いている[1]。ただし、この727件は727回の独立したサイバー攻撃を意味するものではない。同調査では、例えば委託先1社への攻撃によって複数の委託元企業が被害を公表した場合、それぞれの公表組織を1件として計上している。したがって、「国内で727回のサイバー攻撃が発生した」と読み替えることは適切ではない。

さらに、もう一つ注意すべき点がある。攻撃の発生日と公表日は一致しない、ということである。調査に数週間から数カ月を要した後に公表されるケースもあるため、特定の月に公表が集中したからといって、その月に攻撃そのものが急増したとは限らない。 警察庁のランサムウェア統計を見ても、この点は興味深い。企業・団体等から警察庁に報告されたランサムウェア被害は、次のとおりである。[6]

年報告件数
2021年146件
2022年230件
2023年197件
2024年222件
2025年226件

【10/9更新】2024年の222件から2025年は226件であり、大幅な増加ではない。したがって、「最近になって突然ランサムウェアが爆発的に増加した」というより、高い攻撃水準が数年間継続していると表現する方が正確である。[6]

【10/9更新】ただし、2026年に入ってこの水準はさらに上がっている。警察庁が2026年9月10日に公表した上半期の統計では、ランサムウェア被害の報告件数は123件で、統計を取り始めた2020年下半期以降、半期として最多となった[14]。2025年は上半期が116件、下半期が110件だったので、急増とまでは言えないが、高止まりから増加に転じた可能性がある。 被害組織の内訳は、規模別では中小企業79件、大企業31件、団体等13件である。業種別では製造業が37件で最も多く、卸売・小売業15件、情報通信業、不動産・物品賃貸業、医療・福祉が各9件、建設業8件、その他36件と続く[14]。特定の規模や業種に限られた問題ではないと思われる。

日本だけで起きている現象なのか

この傾向は日本だけに限らない。Verizonの「2026 Data Breach Investigations Report(DBIR)」では、31,000件を超えるセキュリティインシデントと22,000件を超えるconfirmed data breachが分析対象となった。前年の2025 DBIRではconfirmed breachは12,195件だったため、分析対象件数自体は大きく増えている[7][8]。ただし、DBIRは世界中の法執行機関、セキュリティ企業、保険会社などから提供されたデータを集約している。そのため、この数字をそのまま「世界の侵害件数が約80%増加した」と解釈することはできない。重要なのは攻撃方法の変化である。2026 DBIRでは、脆弱性悪用が31%を占め、初期侵入経路として初めて盗用された認証情報を上回った。[8]

IBM X-Forceの2026 Threat Intelligence Indexでも、2025年には公開アプリケーションの脆弱性悪用を起点とした攻撃が前年比44%増加したと報告されている。また、活動しているランサムウェア/恐喝グループも増加している[9]。つまり世界的に、次の4つが引き続き大きな問題となっている。

  • 脆弱性悪用
  • ID・認証情報の悪用
  • ランサムウェア/恐喝
  • サプライチェーン攻撃

日本の最近の事故では何が狙われているのか

では、日本国内で2026年に公表された最近のインシデントでは、どのような侵入経路が使われているのだろうか。2026年夏以降については、Aioright Technologies株式会社が、2026年7月1日から10月4日までに国内で検知または公表された143件を公開情報に基づいて集計している[2]。このうち126件が確認済みのサイバー攻撃と分類され、不正アクセスが74件(58.7%)を占めている。さらに重要なのが初期侵入経路である。126件中、初期侵入経路を公開情報から分類できたのは58件であり、その内訳は次のようになっている。

初期侵入経路件数割合
脆弱性悪用23件39.7%
ID・認証関連20件34.5%
サプライチェーン11件19.0%
設定・実装不備2件3.4%
マルウェア感染2件3.4%
合計(分類できた事案)58件100.0%

つまり、侵入経路を分類できた58件に限れば、脆弱性悪用+ID・認証関連=43件、74.1%になる[2]。ただし、この数字についても注意が必要である。確認済みサイバー攻撃126件のうち68件(54.0%)は、初期侵入経路が不明または非公表である。そのため、「日本国内のサイバー攻撃の74.1%が脆弱性またはIDを原因としている」という意味ではない。あくまで、「公開情報から侵入経路を分類できた58件では、74.1%が脆弱性悪用またはID・認証関連だった」と解釈する必要がある。つまり、公開情報から侵入経路を分類できた事案では、脆弱性とIdentityが主要な侵入要因となっているということである。

これは警察庁の過去のランサムウェア調査とも整合する。2024年にランサムウェア被害を受けた企業等へのアンケートでは、侵入経路としてVPN機器が55%、リモートデスクトップが31%を占めていた[10]。ここから見えてくるのは、極めて「従来型」の問題である。VPNやネットワーク機器の脆弱性、盗まれた認証情報、弱い認証、過剰なアクセス権限、委託先やサプライチェーン。これらはAIが登場する以前から存在していた問題である。

ではAIは関係ないのか

ここが今回の問題を考えるうえで最も重要なポイントである。

【10/9更新】2026年に日本で公表された主要インシデントを確認しても、「攻撃者が生成AIやAIエージェントを利用したため侵害された」と明確に公表された事案は、確認した範囲では見つからなかった。したがって、「2026年に日本でセキュリティ事故が増えているのはAIのせいである」と結論づける根拠は、現時点では確認されていない。

【10/9更新】2026年10月に入り、相次ぐ情報漏えいの背景にAIの悪用があるとみる報道や専門家の指摘が増えている。しかし、筆者が確認した範囲では、これらは状況からの推測であり、被害組織がAIの使用を公式に認めた国内事案は見当たらない。指摘されていることと、確認されていることは区別しておきたい。

【10/16更新】その後、JPCERT/CCは2026年10月15日、一連の事案で攻撃に使用された可能性のあるインフラを調査した結果、「攻撃者がAIを利用して、既知の脆弱性のスキャンやAPI経由での攻撃などを実施していたことを確認しました」と公表した[17]。一連の事案に関わる攻撃者がAIを利用していたことが、調査に基づいて確認されたことになる。

【10/16更新】ただし、この記述には限定がある。同記事は、調査したインフラと個別の事案との対応を示しておらず、調査対象の一部は「今回の攻撃とは直接関係しない別のサーバー」としている。また、一部の報道では「AIエージェント」の使用とも伝えられているが、JPCERT/CCの記事は「AIを利用して」とするにとどまり、AIが自律的に攻撃を進めていたかどうかには触れていない。したがって、「一連の事案はAIエージェントによるものだ」とまでは言えない。

【10/16更新】むしろ注目すべきは、AIが何に使われていたかである。JPCERT/CCが確認したのは、既知の脆弱性のスキャンや、スマートフォンアプリを解析してその裏側にあるAPIの弱点(SSRFなど)を探る行為だった。推奨している対策も、アプリに秘密鍵や長期間有効な認証情報を埋め込まない、サーバー側で認証・認可を行う、レート制限と異常なリクエストの監視を行う、といった基本的なものである[17]。AIは新しい攻撃を生み出したのではなく、既存の弱点を探し突く作業に使われていたということになる。

しかし、「AIはサイバー攻撃に関係していない」という結論も正しくない。IPAは2026年の「AIセキュリティ短信」などで、次のような動きを取り上げている[11]。

  • AIエージェント群による自律的な侵入
  • AIを利用した攻撃コード生成
  • AI支援によるマルウェア開発
  • LLMを利用した金融不正
  • AIエージェントによる企業侵入時間の短縮

つまり、AIを攻撃に利用する動き自体はすでに現実のものとなっている[11]。

AIは「原因」ではなく「脅威増幅要因(Threat Multiplier)」

この状況を理解するには、AIを新しい攻撃手法そのものと考えない方がよいと思われる。AIが大きく変えようとしているのは、次の3点である。

  • Speed(速度)
  • Scale(規模)
  • Automation(自動化)

例えば従来の脆弱性攻撃では、次のプロセスが必要だった。

AIやAIエージェントを利用すれば、この一部を自動化できる可能性がある。同じことはフィッシングにも当てはまる。生成AIを利用すれば、大量のメールを作るだけでなく、標的に合わせた自然な文章を短時間で作成できる。

【10/9更新】この変化を具体的に示す報告がある。Gambit Securityは2026年9月、ある攻撃者の中継サーバーを分析した暫定報告を公表した[15]。それによると、攻撃者は3種類のオープンソースのAIツールを組み合わせ、脆弱性の探索から侵入、データの持ち出しまでの大部分を自律的に実行させていた。260セッションで人間が入力した指示は1,951件にとどまる。6日間に105件の攻撃が開始され、少なくとも27社で侵害が確認された。1標的あたりのコストは、完了した101件の平均で約25ドルである。

【10/9更新】注目すべきは、そこで使われた手口である。SQLインジェクション、ファイルアップロード機能の不備、設定ファイルに残された認証情報など、いずれも以前から知られている弱点だった。変わったのは手口ではなく、それを試す速度と規模、そしてコストである。なお、これは1つの攻撃グループに関する暫定的な調査結果である。被害例には日本の旅行予約サイトも含まれるが、本ブログで見た国内の公表事案との関係は確認されていない。

つまりAIは、新しい脆弱性を生み出しているというより、既に存在する脆弱性を攻撃する能力を増幅していると考える方が現状を説明しやすい。この意味でAIは、Root Cause(根本原因)ではなく、Threat Multiplier(脅威増幅要因)と位置付けるのが適切である。

「AI普及」と「事故増加」の因果関係は証明されていない

ここでは相関関係と因果関係を区別する必要がある。現在、AI利用の拡大と同時に、次のような動きが観測されている。

  • 脆弱性探索の高速化
  • 攻撃コード生成支援
  • フィッシング高度化
  • マルウェア開発支援
  • AIエージェントによる攻撃自動化

また日本では、不正アクセス、ランサムウェア、情報漏洩など多数の事故が公表されている。しかし、AI利用の増加→日本のセキュリティ事故件数の増加という因果関係を直接示す統計は、現時点では存在しない。

Mandiantも2026年のM-Trendsにおいて、2025年を「AIが直接breachを引き起こした年」とは位置付けていない。一方で、攻撃者が偵察、ソーシャルエンジニアリング、マルウェア開発などでAIを利用し、生産性を向上させていることは確認している。この区別は非常に重要である[12]。

本当に変わりつつあるのは「時間」である

AI時代のサイバーセキュリティで特に注目すべきと考えるのは、攻撃件数そのものよりも、攻撃に必要な時間の短縮であると考える。これまで防御側には、次のプロセスに充てる一定の時間があった。

しかし攻撃側の脆弱性探索、分析、攻撃コード生成、対象探索がAIによって高速化すると、脆弱性が攻撃可能になるまでの時間が短くなる。これは防御側にとって非常に大きな意味を持つ[8][12]。「毎月脆弱性スキャンを実施する」「年に数回ペネトレーションテストを実施する」といった周期型の脆弱性管理では、攻撃側の速度についていけなくなる可能性がある。

対策をどう整理するか ― 「Mythosレディ」の3層

では、攻撃側の時間軸が変わりつつある状況で、防御側は何から手を付ければよいのか。ここでは、CSAジャパンブログに掲載した筆者の「Mythosレディ」シリーズ[3][4][5]で示した3層に沿って整理したい。

同シリーズは、Anthropicが2026年4月に発表したClaude Mythos Previewを契機に、機械速度の攻撃が常態化する世界で組織が取るべき対策を論じたものである。そこでは、「Mythosレディ」を特定のAIツールへの対抗策としてではなく、背後にある構造的リスクに継続的に適応し続けられる組織の状態として捉えた[3]。これは、AIを根本原因ではなく脅威増幅要因と見る本ブログの立場と一貫している。

【10/9更新】規制当局も同じ問題意識で動いている。金融庁と日本銀行は2026年5月22日、脆弱性の発見から攻撃に至るまでの期間が大幅に短縮され得るとして、金融機関等に9項目の短期的な対応を要請した[16]。優先的に対応すべきサービスやITシステムの特定、技術負債の解消、リスクベースのパッチ適用、パッチ適用以外の対策の強化、停止への備えなどであり、以下に示す3層と重なる内容である。

同シリーズで示した対策は、次の3層である。

この3層は、上から順に完成させていくものではなく、同時並行で育てていくものである。以下、順に見ていきたい。

第1層:基本対策 : まず基本の穴を塞ぐ

シリーズ第1回[3]では、Mythosレディへの第一歩を、新しいAI防御製品の導入ではなく、基本的なセキュリティの強化に置いた。その前提にあるのは、情報セキュリティの目的を「コントロール可能にすること」と捉える考え方である[3]。攻撃を完全に防ぐことはできなくても、影響を封じ込め、回復し、次に備えられる状態を保つことはできる。そして攻撃者は最も弱い点を狙うため、高度な対策より先に基本の穴を塞ぐ必要がある。 同ブログでは、今すぐ取り組む基本強化として5つの領域を挙げた。本ブログで見た国内事案と対応させると、次のようになる。

領域主な内容国内事案との関係
資産管理IT資産、SBOM、シャドーIT、AIエージェント資産を継続的に把握する把握していないVPN機器や公開サーバーは、修正も監視もできない
ネットワークセグメンテーション機能・リスク別に分離し、横展開を遮断する侵入後の被害拡大(ランサムウェアの全社展開など)を抑える
パッチ管理の継続化CVSSではなくKEVなど実際の悪用状況で優先する。同ブログでは、クリティカルパッチについて24時間以内の適用を目標例としている脆弱性悪用(39.7%)、VPN機器経由の侵入(55%)
IAM最小権限の徹底、過剰権限の棚卸し、フィッシング耐性MFAの展開。AIエージェントにも最小権限を適用するID・認証関連(34.5%)、リモートデスクトップ経由の侵入(31%)
多層防御の再設計単一の対策に依存しない設計、egressフィルタリング、継続的モニタリング一つの防御が破られた後の検知と、情報持ち出しの抑止

上記「日本の最近の事故では何が狙われているのか」で見た「従来型」の問題は、ほぼこの5領域に収まる。AI時代だからといって特別な対策が先に必要になるわけではない。AIによって増幅されるのは既存の弱点への攻撃であり、だからこそ基本対策の価値はむしろ高まっている。

第2層:ゼロトラスト :  侵入されても到達させない

基本対策を講じても、脆弱性悪用 → 侵入、あるいは認証情報窃取 → 正規アカウントによる侵入そのものを完全になくすことは難しい。したがって、「侵入させない」だけではなく「侵入されても重要資産まで到達させない」設計が重要になる。

ここでZero Trustの考え方が生きてくる。プロテクトサーフェスを明確にし、Identity、Device、Network、Application、Dataを継続的に評価し、最小権限を適用する。さらにマイクロセグメンテーションなどによって、侵害されたアカウントや端末から重要資産への横展開を抑制する。

シリーズ第2回[4]では、Mythosレディにゼロトラストが有効な理由を説明した。ゼロトラストは攻撃を完全に防ぐ手段ではなく、攻撃の難度を引き上げ、侵入から被害拡大までの時間を引き延ばすことで、人間が対応できる時間を確保する戦略と位置付けられる。攻撃側の時間が短縮されるのであれば、防御側は侵入後の時間を取り戻す設計を持つ必要がある。 委託先やサプライチェーン経由の侵入(19.0%)のように、正規の経路や正規のアカウントが使われる場合にも、アクセスのたびに検証し、到達範囲を限定する設計は有効に働くと思われる。

第3層:VulnOps / CTEM ― 悪用される前に発見し、修復する

ゼロトラストが侵入後の被害を限定する層だとすれば、第3層は侵入される前のExposureを減らす層である。VulnOpsが脆弱性の継続的な発見・優先順位付け・修復を担うのに対し、CTEM(Continuous Threat Exposure Management)は脆弱性だけでなく、設定、権限、攻撃経路などを含むExposure全体を継続的に評価・低減する枠組みである。シリーズ第3回[5]では、この両者をMythosレディの中核に位置付けた。

「毎月スキャンする」「年に数回ペネトレーションテストを実施する」といった周期型の脆弱性管理は、攻撃側に時間がかかることを暗黙の前提としていた。従来型の脆弱性管理は、Find → Patchという考え方になりやすかったが、実際には、すべての脆弱性を直ちに修正することはできない。そこで必要になるのが、継続的な運用である。GartnerのCTEMは、Scoping、Discovery、Prioritization、Validation、Mobilizationの5フェーズで定義されている。次に示すのはその5フェーズそのものではなく、VulnOps / CTEMを実装する際の本ブログでの運用例である[13]。

CVSSだけを見るのではなく、次の点を評価して、修復の優先順位を決める必要がある。

  • 実際にInternetから到達可能なのか
  • 既に悪用されているのか
  • 重要なプロテクトサーフェスにつながっているのか
  • 攻撃経路として成立するのか
  • どの程度の業務影響があるのか

これは、第1層の「パッチ管理の継続化」を、攻撃側の速度に合わせて常時回り続ける運用へ発展させたものと言える。AIによって攻撃側のサイクルが高速化するのであれば、防御側も同じように継続的なサイクルへ移行する必要がある。

まとめ:AI時代に変えるべきなのは防御側の「時間軸」

ここまでを整理すると、2026年に相次いで公表されている日本のセキュリティ事故について、AIが直接的な原因であることを示す証拠は現時点では確認できない。実際に確認できる主要な侵入経路は、脆弱性、Identity、サプライチェーンなど、以前から存在していたものである。

【10/16追記】JPCERT/CCが攻撃者によるAIの利用を確認した後も、この整理は変わらない。確認されたのは、AIを使って既知の脆弱性やAPIの弱点を探し突く行為だったからである[17]。AIが攻撃に使われていることは事実になったが、突かれているのは依然として以前から存在する弱点である。

一方で、AIが攻撃者の能力を増幅し、探索、分析、攻撃コード生成、ソーシャルエンジニアリング、侵入後活動などを高速化・自動化し始めていることも事実である[8][9][11][12]。

したがって、「AIによってサイバー事故が増えた」と単純化するのではなく、「AIによって攻撃側の時間軸が変わり始めている」と捉える方が適切ではないだろうか。そして問題はAIそのものだけではない。攻撃側の時間軸が変わっているにもかかわらず、防御側が、月次スキャン、四半期レビュー、年次リスク評価という従来の時間軸のままでよいのか、という問題である。AI時代のセキュリティ対策で求められているのは、単に「AIを使ったセキュリティ製品」を導入することではない。「Mythosレディ」の3層に沿って言えば、次の3つを同時並行で進めることである。

Mythosレディは、一度到達すれば終わる状態ではない。攻撃側の速度に合わせて適応し続けられる状態を保つことであり、その出発点は、国内事案のデータが示すとおり、基本対策にある。

参考資料

民間調査

[1]デジタルアーツ株式会社「2026年上半期国内セキュリティインシデント集計」2026年7月28日公開

[2]Aioright Technologies株式会社 2026年7〜10月 国内サイバーセキュリティ事案143件の統計分析――攻撃種別・対象・侵入経路の全体像」 2026年10月6日公開

CSAジャパン ブログ(「Mythosレディとは何か」シリーズ)

[3]CSAジャパンブログ「Mythosレディとは何か ~ 機械速度の攻撃時代における組織生存の条件」 2026年5月26日公開

[4]CSAジャパンブログ 「Mythosレディとは何か(続編)~ Mythosレディにゼロトラストが有効な理由」 2026年6月3日公開

[5]CSAジャパンブログ 「Mythosレディとは何か(続編-2)~ VulnOpsとCTEM:継続的脆弱性管理の具体的な実装」 2026年6月5日公開

公的機関・ベンダー一次資料

[6]警察庁「令和7年におけるサイバー空間をめぐる脅威の情勢等について」

[7]Verizon, 2025 Data Breach Investigations Report(公表資料)

[8]Verizon, 2026 Data Breach Investigations Report(公表資料)

[9]IBM X-Force, 2026 Threat Intelligence Index

[10]警察庁「令和7年版 警察白書」第3項 ランサムウェアの情勢

[11]IPA「AIセキュリティ短信」

[12]Google Cloud / Mandiant, M-Trends 2026

[13]Gartner, Strategic Roadmap for Continuous Threat Exposure Management

[14]警察庁「令和8年上半期におけるサイバー空間をめぐる脅威の情勢等について」(2026年9月10日公表)

[15]Gambit Security, AI Agents Are Hacking Online Retailers for $25 a Company(2026年9月22日、暫定報告)

[16]金融庁・日本銀行「フロンティアAIによる脅威変化を踏まえた金融機関等の短期的な対応」に係る要請について(2026年5月22日)

[17]JPCERT/CC Eyes「連続不正アクセス事案の攻撃手法に関する調査」(2026年10月15日)

補足資料

IPA「情報セキュリティ白書2026」

Google Threat Intelligence Group, AI Threat Tracker: From Prompting to Autonomy(2026-09-08)

以上

ゼロトラスト追補(2) ~ ZTNAだけでは十分でない理由、SASE/SSE・IdPと組み合わせても残る課題

2026年9月28日
ゼロトラストWGリーダー 諸角昌宏

背景

ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門シリーズについての質問で、ZTNAとZTAの違いを詳しく説明してほしいという意見がある。特に、ZTNAの導入ではZTを実現したとは言えないというのはどういうことかという質問が寄せられている。

そこで、本ブログでは、ZTNAだけでは十分でない理由、および、SASE/SSE・IdPと組み合わせても残る課題について掘り下げてみる。

はじめに

Zero Trust Network Access(ZTNA)は、VPNの代替として急速に普及している。「ゼロトラスト実装の5ステップ」シリーズ第3回でも、SDPと並ぶ代表的な実装パターンの一つとして紹介した。しかし、「ZTNAを導入した=ゼロトラストを実現した」という理解は誤解である。

本シリーズが依拠するNSTACの5ステップは、ゼロトラストという抽象的な原則(「決して信頼せず、常に検証する」)を、組織が実際に手を動かして実装していくための、実践的な進め方である。ZTNAやSASE/SSEといった技術は、この5ステップのうち主にステップ3(アーキテクチャの構築)を実現する手段の一つにすぎず、5ステップ全体を代替するものではない。

今回は、ZTNAだけでは十分でない理由を整理し、そのうえでSASE/SSEやIdP(アイデンティティプロバイダー)と組み合わせた場合に何が改善し、何が改善しないのかを検討する。

ZTNAだけでは十分でない理由

ZTNAは、ZTA(ゼロトラストアーキテクチャ)を構成する要素の一つであり、ネットワークアクセス制御に特化した技術カテゴリである。つまりZTNAは、ZTAという大きな設計図の一部分にすぎない。具体的には、次の理由がある。

① 単独では、5本柱を包括的にカバーしない

ZTNAは、CISAのゼロトラスト成熟度モデルにおけるネットワークの柱を中心に、アイデンティティ、デバイス、アプリケーションへのアクセス制御にも関係する。接続を許可するにはユーザーを認証する必要があり、多くの製品はデバイスの状態も判断材料に含め、制御の単位もネットワーク全体ではなくアプリケーション単位である。しかし、ZTNAだけで5本柱および3つの横断的能力(可視化と分析・自動化とオーケストレーション・ガバナンス)を包括的に実現できるわけではない。データの分類・保護や、エンドポイントの詳細な健全性管理などは、別の仕組みで補う必要がある。

② 「入口」は絞れても、「入った後」の制御には限界がある

多くのZTNA製品は、接続開始時にユーザー/デバイスを検証して「このアプリへのアクセスを許可するか」を決めることに主眼を置いている。しかし、いったんアクセスが許可された後、そのセッションの中で何が行われるかまでは見ていないことが多い。真のゼロトラストは、一度きりの検証ではなく、継続的な検証を要求している。

③ ラテラルムーブメント(横移動)対策は「軸」によって効き方が違う

従来型VPNでは、接続後のアクセス範囲を適切に制限していない場合、広範なネットワークリソースへの到達が可能となり、横移動のリスクが高まる。一方ZTNAは、アクセス対象をアプリケーション等の単位に限定することで、このリスクを低減する。常に検証し、最小権限による制御を前提とする設計であることも、この違いを支えている。

ただし、ここには以下の2つの異なる軸がある。

軸何の話かZTNAの役割
A:ユーザー→アプリの横移動(VPN文脈)アクセス範囲が適切に制限されていない場合、リモートユーザーが広範なネットワークリソースに到達できてしまう問題ZTNAはアクセス対象をアプリ単位に限定し、このリスクを低減する
B:サーバー・ワークロード間の横移動(マイクロセグメンテーション文脈)攻撃者がいったん社内の1台に侵入した後、サーバー間・サービス間を東西(east-west)に動き回る問題ZTNAは通常ここまでは踏み込まない。別の技術(マイクロセグメンテーション)の役割である

表1:ZTNAが効く横移動と、効かない横移動

Target社の事件では、外部委託先の認証情報を悪用した侵入後、内部ネットワークでの横移動が発生した。本ブログでの分類では、特に軸Bに相当する問題を示す事例である。

④ 非人間アイデンティティへの対応が弱い

多くのZTNA製品は、人間のユーザーがアプリにアクセスする場面を想定して設計されており、サービスアカウントやAPI、ワークロード間の通信、AIエージェントのような非人間の主体に対するコントロールは、そのままでは不十分なことが多い。「Whoには人だけでなく非人間も含める」という、シリーズ第4回で説明した原則が、ZTNA単体では十分にカバーしきれない領域である。

⑤ 通信内容の脅威検査は、別の機能に委ねられる

アクセス制御を主機能とするZTNAは、マルウェアやゼロデイ攻撃を通信内容から検出・防御すること自体を主目的としていない。こうした脅威に対応するには、ZTNAと連携する脅威検査機能やエンドポイント保護等が必要になる。

⑥ 5ステップで言えば「ステップ3の一部」にすぎない

ZTNAは、5ステップのうちステップ3(アーキテクチャの構築)で選べる実装パターンの一つにすぎない。ZTNAをどれだけ高度に導入しても、プロテクトサーフェスの定義(ステップ1)を飛ばしていれば何を守るべきか曖昧なままであり、トランザクションフローのマッピング(ステップ2)がなければポリシーの中身がスカスカになり、監視と保守(ステップ5)がなければ時間とともにポリシーが陳腐化する。ZTNAという「箱」を導入しただけでは、その中身(ポリシー、プロテクトサーフェスの定義、継続的な運用)が伴わなければ機能しない。

ZTNAとIdPを組み合わせるとどうなるか

ZTNAの限界を踏まえると、「IdP(アイデンティティプロバイダー)と組み合わせればどうか」という発想が浮かぶ。これは第3回で説明した「ZTNAという枠組みに、IdPをデータソースとして接続する」という構成そのものであり、実務でも広く行われている。

ただし、ここで前提を一つ補足しておきたい。ZTNAをSSEやSASEの構成要素として提供するベンダーが存在し、SWGやCASB等との統合が進められている。SASE(Secure Access Service Edge)は、SD-WAN等のネットワーク機能とクラウド提供型のセキュリティ機能を統合するアーキテクチャである。一方、SSE(Security Service Edge)は、SASEのセキュリティ機能部分に相当し、ZTNA、SWG、CASB等を中心に構成される。ZTNAは、このSSEに含まれる機能の一つにすぎない。なお「ZTNA 2.0」は、SASEやSSEという製品カテゴリを指す言葉ではなく、ZTNAという機能自体を、継続的検証やインライン脅威検査まで含めてより高度に実装したものを指す、ベンダー側の呼称である。三者は並列の同義語ではなく、ZTNAはSASE/SSEを構成する機能の一つである。ZTNA 2.0は、そのZTNA機能を高度化したものを指すベンダー提唱の概念であり、SASE/SSEの実装に組み込まれる場合がある。

こうした統合が進むベンダーの構成を踏まえ、以下では「ZTNA単体+IdP」ではなく、「SASE/SSE+IdP」という組み合わせで、先の課題がどこまで解消するかを見直してみる。結論から言えば、かなり改善するが、埋まらない穴は変わらず残ると考えられる。

ZTNA単体の課題
ZTNA単体の課題SASE/SSE + IdP改善の程度(構成条件による)
① 5本柱を単独では包括的にカバーしないアイデンティティの柱をIdPが補強し、SASE/SSEはネットワーク以外の柱にも機能を広げる○
② 接続時の検証だけで、その後は見ないIdPとSASE/SSEの連携により、リスク変化の検出と接続後のコントロールを強化できる。ただし、実現範囲は製品・構成に依存する◎
③-A ユーザーの横移動(VPN文脈)ZTNAによるアプリケーション単位のアクセス制御により、広範なネットワーク到達に伴う横移動リスクを低減する◎
③-B サーバー・ワークロード間の横移動マイクロセグメンテーションはSASE/SSEとは別の機能・製品として提供される場合があり、別途対応が必要となることがある△
④ 非人間アイデンティティに弱いIdP側の対応範囲拡大に加え、SASE/SSE側も進みつつあるが発展途上△
⑤ 通信内容の脅威検査は、別の機能に委ねられるSSEに含まれるSWG等の機能が脅威防御を、DLPが機密情報の持ち出し制御を担う。ただし対象通信・構成は製品によって異なる○
⑥ 5ステップのうちステップ3の一部にすぎないステップ4(ポリシー)の判断に利用できる情報が拡充する。ただし、ステップ1・2・5は製品によって支援・自動化できても、組織の責任そのものは代替できない△

表2:ZTNA単体の課題と、SASE/SSE+IdPを組み合わせた場合の改善の程度
凡例:◎=大きく改善する、○=一定程度改善する、△=限定的な改善にとどまる

⑤はかなり埋まる。ただし条件と構成に依存する

SSEに含まれるSWG等の機能により、対応する通信についてマルウェア検査や脅威防御を実施できる。また、DLPによって機密情報の不適切な持ち出しを検出・制御できる。ただし、TLS復号の可否、検査対象となる通信、適用されるセキュリティポリシーは製品や構成によって異なる。これにより、ZTNA単体では扱えなかった「通信内容の脅威検査」は、条件が整えば大きく前進する。

特に注意したいのは、同じベンダーの製品であっても、ZTNAを担うサービスと脅威検査を担うサービスは、別々に設計・提供されていることが多いという点である。両者を連携させる設定を明示的に行わなければ、ZTNA経由の通信が脅威検査を自動的に通るとは限らない。

「SASE/SSEを導入した」だけでは足りず、構成として正しくつなぎ込まれているか、対象通信・ポリシーが意図どおりかの確認が要る。

③-Bは、SASE/SSEに広げても、なお埋まりにくい

一方、マイクロセグメンテーション(サーバー・ワークロード間の横移動対策)は、SASE/SSEとは別の機能・製品として提供される場合があり、導入時には両者の機能範囲や連携状況を確認する必要がある。

つまり、「SASE/SSEまで導入したから安心」という判断は早計であり、Target社事例のような内部の横移動対策は、依然として別の検討が必要である。

特に効くのが②:継続的なリスク評価

これが一番の実質的な進歩である。一部のIdP製品は、認証後もユーザーやセッションのリスク変化を検出・評価する機能を備えている。ただし、リスク評価と既存セッションのコントロールは別の機能である。IdPの評価結果をZTNAやSSEのアクセス制御に反映し、必要に応じて再認証・アクセス制限・セッション終了を実行できるよう、製品間の連携とポリシーを適切に構成する必要がある。こうした連携によって、接続時だけでなく、接続後の状況変化にも対応できる。

これはまさに、第3回で説明したCBAC(コンテキストベースアクセス制御)が目指す「セッション中も継続的に再評価する」という原則を、実装レベルで具体化したものである。

それでも、組織の責任そのものは代替できない

ここが本ブログの核心である。ベンダーがZTNAの機能を、SASE・SSEというプラットフォームや「Zero Trust Platform」といった上位概念に組み込み、どれだけ機能を束ねて上位概念に昇華させても、以下の3点は製品によって支援・自動化できるが、組織の責任そのものは代替できない。

  • プロテクトサーフェスの定義(ステップ1)
  • トランザクションフローのマッピング(ステップ2)
  • 監視と保守(ステップ5)

資産管理ツールやCMDBは棚卸しを助け、フロー可視化ツールはマッピングを助け、SIEMやアクセスレビュー自動化ツールは監視・保守を助ける。しかし、「何を守るべきか」「どこにコントロールを置くべきか」という最終的な判断と責任は、組織にしかできない仕事である。むしろ、ベンダーが機能を統合すればするほど、「それでも組織の責任は残る」という結論が、より際立って正しく見えてくる。

「組織の責任は代替できない」ことで、実際に何が起きるか

ここは、単に「代替できない」と言うだけでは足りない。放置すると、具体的に次の3つの問題が起きる可能性がある。

  1. 高機能な製品を入れても、「何を守るか」を考えていなければ意味がない
    プロテクトサーフェスの定義(ステップ1)を組織自身が行わなければ、何を重点的に保護すべきかが曖昧となり、保護すべき対象がアクセス制御の対象から漏れる可能性がある。また、保護対象に応じた適切なアクセス制御を設計できず、業務への影響を避けるために広すぎるアクセス許可を敷いてしまう場合もある。その結果、高機能なプラットフォームを導入していても、本来守るべき重要な資産が十分に保護されない状態になりかねない。
  2. ポリシーの中身がスカスカになる
    トランザクションフローのマッピング(ステップ2)がなければ、「誰が・どこへ・何のためにアクセスするか」の実態が分からないままポリシーを書くことになる。フローのマッピングはポリシーの“下書き”であり、下書きがなければポリシーは推測や慣習で書かれ、必要なアクセスを誤って止めて業務が止まるか、逆に不要なアクセスを許してしまうことになる。
  3. 導入時は良くても、時間とともに劣化する
    監視と保守(ステップ5)がなければ、業務やシステムが変化してもポリシーは自動では更新されず、ポリシーの腐敗がそのまま進行する。最新のプラットフォームを入れた初日は良い状態でも、1年後には形骸化している、という事態になる。

この問題について以下のよく知られた事件を5ステップの観点から分析し整理してみる。なお、これらは各社の公式な原因発表そのものではなく、5ステップという枠組みに照らして整理した分析である点に留意されたい。

事例関連するステップ何が起きたか
Capital One(2019年)ステップ1、4攻撃者は設定上の脆弱性を悪用して不正アクセスし、過大な権限を持つIAMロールを利用してS3上の情報を取得した。米国約1億人、カナダ約600万人が影響を受けた。保護対象の特定(ステップ1)だけでなく、アクセス権限の最小化と設定管理(ステップ4)の重要性を示す事例と解釈できる
Colonial Pipeline(2021年)ステップ5攻撃者は、当時使用されていなかったものの有効な状態だったVPNアカウントを悪用した。当該レガシーVPNではMFAが適用されていなかった。アカウントのライフサイクル管理、アクセス権限の定期的な見直し、MFA適用という、継続的な運用(ステップ5)の重要性を示す事例と解釈できる
Equifax(2017年)ステップ5既知のApache Strutsの脆弱性に対するパッチ適用が行われていなかった。また、ネットワーク監視に利用する証明書が約19か月間期限切れとなっており、暗号化通信の監視に支障が生じていた。攻撃による侵害は約76日間継続し、約1億4,800万人の個人情報が影響を受けた

表3:組織的な作業の観点から分析した主な事例

いずれも、高度なセキュリティ製品の有無とは別の次元で、組織的な判断・継続的な運用という観点から解釈できる事件である。

一言でいえば、「製品が高機能かどうか」と「その製品が正しく機能するかどうか」は別問題である。SASE/SSEは、正しいポリシーを、正しく強制する道具にすぎない。「何を・なぜ・どのように守るか」という中身は、組織が用意しなければならない。「組織の責任は代替できない」ことの本当の問題は、「良い製品を買えば安心」という誤った安心感を生み、実際にはザルなポリシーのまま運用されてしまうリスクがあるということである。

ZTNAやSASE/SSEは、ZTAにおけるアクセス制御やポリシーの実施を担う技術として利用できる。また、IdPはアイデンティティ情報や認証結果を提供し、アクセス判断を支える。ただし、これらの製品を組み合わせても、組織として何を保護対象とし、どの通信経路にどのようなコントロールを適用するかが自動的に決まるわけではない。第3回で説明したとおり、PEは、組織が定めたポリシーと各種データソースから得られる情報に基づいてアクセスを判断する。しかし、その判断の基礎となる保護対象の定義やアクセス方針を策定する責任は、組織にある。そのポリシーの中身は、プロテクトサーフェスの定義とトランザクションフローの理解に基づいて、業務オーナーとセキュリティ担当が作り込むものであり、これを用意するのは、あくまで組織の仕事である。

さらに、いったん作ったポリシーも、業務やシステムの変化に応じて陳腐化していく。ステップ5の監視と保守、つまりマッピングと実態の突き合わせ、ポリシーの検証と見直しを継続しなければ、どれほど高機能な製品を導入していても、ポリシーはやがて「腐敗」する。ZTNA・IdP・SASE/SSEをはじめ、あらゆる技術的な対策は、この組織的な土台があって初めて意味を持つことになる。

まとめ

SASE/SSE+IdPの組み合わせは、「誰が」という軸(アイデンティティ)と「通信の脅威検査」という軸の両方を大幅に強化し、しかも一度きりでなく継続的に検証できるようにする、という点で非常に理にかなっている。ただし、以下の点はこの組み合わせでも埋まらない。

  • 内部の横移動対策(マイクロセグメンテーション): SASE/SSEだけでは対応範囲が十分でない場合があり、別途の対策を検討する必要がある
  • プロテクトサーフェスの定義・トランザクションフローのマッピング・監視保守という組織的な作業(ステップ1・2・5): 製品によって支援・自動化できるが、組織の責任そのものは代替できない

「SASE/SSE+IdPを入れれば十分」ではなく、「それらは、5ステップの中の“良いパーツ”の一つ」と捉えるのが正確であると考える。ベンダーがZTNAの機能を、SASE/SSEといった上位のプラットフォームに組み込んでも、とりわけステップ1・2・5は、製品の導入では代替できない、組織自身が担うべき中核的な仕事である。ゼロトラストは製品の組み合わせで完成するものではなく、5ステップという手順そのものを、組織として回し続けることで実現される。これは、本シリーズが一貫して伝えてきた考え方に、改めて行き着く結論である。

参考資料

  • Portnox「Why Do ZTNA Solutions Fall Short When It Comes to Zero Trust?」
  • Cato Networks「ZTNA Alone Won’t Win the Zero Trust Race」
  • Palo Alto Networks「What is Zero Trust Network Access (ZTNA) 2.0」
  • Reco AI「Top Zero Trust Security Solution」
  • そのほか、事件に関する公開情報

以上

ゼロトラスト追補 ~ アタックサーフェスとプロテクトサーフェス

2026年9月25日
ゼロトラストWGリーダー 諸角昌宏

背景

ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門シリーズのプロテクトサーフェスについて、いろいろと質問をいただいている。その中で、John Kindervagの言っている「Protect Surface is much smaller and more knowable than the Attack Surface.(プロテクトサーフェスは、アタックサーフェスよりもはるかに小さく、はるかに把握しやすい。)」 は根拠があるのかという質問が寄せられている。そこで、事例を交えてこれを説明していきたいと考えた。まず、「この内容に該当するような事例があるか」ということになるが、ここでAIに支援を求めたところ、Target社の情報漏えい事件が上がってきた。

はじめに

「ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門」シリーズでは、ゼロトラストの出発点として「アタックサーフェス(攻撃対象領域)ではなく、プロテクトサーフェス(保護対象領域)に焦点を絞る」という考え方を紹介してきた。しかし「アタックサーフェスが広すぎて把握しきれない」という説明は、ともすれば抽象的に響いてしまう。

本ブログでは、この点を示す実例として、2013年に発生したTarget社の大規模情報漏えい事件を取り上げる。この事件は、セキュリティ業界で最も広く分析されてきた事例の一つであり、アタックサーフェスの広さと、プロテクトサーフェスを正しく隔離することの重要性の両方を、同時に教えてくれていると考えている。

Target社の大規模情報漏えい事件 ~ 何が起きたか

攻撃者は2013年11月15日、空調・冷凍設備の保守を請け負う地方の業者、Fazio Mechanical Services社から盗んだ認証情報を使って、Target社のネットワークに侵入した。Fazio社は、電子請求書の提出・契約管理・プロジェクト管理のためだけに、Target社のシステムへリモートアクセスできる契約だった。捜査関係者の話として、攻撃者はFazio社の従業員にフィッシングメールを送り、その認証情報を窃取したと報じられている(なお、これはTarget社・Fazio社の双方から公式に表明された確定した手口ではないことは述べておく)。

そこを足がかりに、攻撃者はTarget社のネットワーク内を横移動し、全米1,797店舗(後年の報道による)のPOSシステムにまで到達した。Target社がネットワークを適切に分離していなかったため、本来つながっているべきでないシステム同士が結びついてしまっていたことが、被害を広げる決定打となった。

結果として、約4,000万件のカード情報と、最大7,000万人分の個人情報が流出した。被害総額は、報道時期や算定方法によって幅があり、2億ドル超から、2014年時点のアナリスト試算では最大4億2,000万ドルに達するという推計も示されている。

なぜこれが「アタックサーフェスの広さ」の良い例なのか

「クレジットカード情報を守る」と考えるとき、誰も「空調業者の請求システムへのアクセス」を守るべき対象だとは思わない。しかし、実際の侵入口はそこだった。

アタックサーフェスには、こうした「守るべきだと誰も思っていなかった場所」が無数に含まれている。取引先、保守業者、委託先など、業務上必要だからという理由だけで存在する、無数の細い糸がある。そのすべてを事前に洗い出し、守り切ることは事実上不可能である。これが、ゼロトラストが「アタックサーフェス全体を守る」という発想を捨て、「本当に守るべきもの(プロテクトサーフェス)に焦点を絞る」という発想に転換する理由である。

空調業者の請求システムはプロテクトサーフェスにできるのか

ここで一つ、重要な問いが浮かぶ。「空調業者の請求システムも、DAAS(データ・アプリケーション・資産・サービス)として定義すれば、プロテクトサーフェスにできるのではないか」というものである。

答えは「YES」である。契約情報や請求データ(D)、ベンダー用ポータル(A)、それをホストするサーバー(A)、リモートアクセスの仕組み(S)、これらを1つの業務システムとして束ね、プロテクトサーフェスとして定義することは十分可能である。

しかし、これは本質ではない。Target社に本当に必要だったのは、請求システムを守ることではなく、カード会員データというプロテクトサーフェスを、他のすべてから隔離することだった。ゼロトラストは「攻撃者がどこから来るか」を防ぐのではなく、「侵入されても、守るべきプロテクトサーフェスにだけは到達させない」という設計を取る。カード会員データのプロテクトサーフェスが正しく隔離されていれば、攻撃者がアタックサーフェスのどこから侵入しようと、それが空調業者だろうと、他の誰かだろうと、守るべきものには届かない。

トランザクションフローとして、この経路は存在したのか

もう一つ、重要な点がある。「業務上正当なトランザクションフロー」と「実際に存在してしまった経路」は別物であるということである。

Fazio社は、電子請求・契約管理のためだけにアクセス権を持っていた。したがって、カード会員データやPOSシステムとやり取りする業務上の理由は、そもそもない。つまり、もしTarget社がステップ2(トランザクションフローのマッピング)を正しく行っていたら、カード会員データへのフロー図に「空調業者の請求システム」が登場することは、ありえないはずだった。

ところが実際には、ネットワークが適切に分離されていなかったため、マッピング上は存在しないはずの経路が、物理的には通ってしまっていた。これは、ステップ4で説明した「フローにある流れは許可の候補、フローにない流れは原則拒否」という原則が機能していなかった、ということに他ならない。

もしステップ5(監視と保守)で定期的に「定義したフローと、実際に観測されるフロー」を突き合わせていれば、空調業者のセグメントからカード会員データ環境へ到達できる経路が実在すること自体が、「本来ないはずの抜け道」として検知できていたはずである。

図1:実際に起きたことと、ゼロトラストの5ステップが機能していた場合の対比(公開報道を基に作成)

5ステップに当てはめると

この事件を、本シリーズの5ステップに当てはめ直すと、失敗の構造がより明確になる。なお、NSTACの5ステップモデルは2022年に公表されたものであり、2013年の事件当時にTarget社がこの手順を実際に採用していた(あるいは特定の手順が欠けていた)という記録があるわけではない。以下は、起きた事実に、後からゼロトラストの枠組みを当てはめて整理した、筆者による分析である。

ステップこの事件では
ステップ1:プロテクトサーフェスの定義カード会員データという、守るべきプロテクトサーフェスは(おそらく)認識されていた
ステップ2:トランザクションフローのマッピングそこへの正当なフローが厳密にマッピングされていなかった(あるいは、マッピングと実態が一致しているかの検証が甘かった)
ステップ3:アーキテクチャの構築ネットワークが十分に分離されておらず、PEPに相当する「関所」がフローの境界に存在しなかった
ステップ4:ポリシーの作成「フローにない通信は拒否する」というポリシーが、実効的に機能していなかった
ステップ5:監視と保守定義したフローと実態の突き合わせが行われず、抜け道が長期間放置された

表1:Target社の事件を5ステップに当てはめた場合の失敗構造(筆者による整理)

つまりこの事件は、5ステップのどこか一つが欠けたら何が起きるかを、そのまま実証した事例だと言える。

まとめ

Target社の事件が教えてくれるのは、次の2点である。

  • アタックサーフェスは、空調業者の請求システムのように、誰も予想しない場所まで含みうるほど広い。すべてを事前に守り切ることはできないと考える。
  • だからこそ重要なのは、守るべきプロテクトサーフェスを正しく定義し、そこへの正当なフローだけを許可し、それ以外を遮断すること。攻撃者がどこから来るかではなく、どこにも到達させないことに焦点を当てるべきである。

これは、「ゼロトラスト実装の5ステップ」シリーズが第1回から第5回まで一貫して説いてきた考え方、つまり守る対象を定め、流れを可視化し、アーキテクチャで隔離し、ポリシーで許可を絞り、監視で継続的に確かめるというのが、机上の空論ではなく、現実の重大な事件の教訓そのものであることを示している。

以上

中国のAIエージェント規制 ― 概要と意義

2026年9月23日
AIWGメンバー 諸角昌宏

CSAI Foundation/CSA本部が、「China’s AI Agent Regulation Enters Enforcement for Frontier Systems」を公開しました。本ブログでは、このレポートの簡単な概要とそこから読み取れる意味・意義を整理しました。

なお、原文の日本語訳の提供は予定していません。

文書の概要

中国は2026年7月15日、「Implementation Opinions on the Standardized Application and Innovative Development of Intelligent Agents」を施行しました。これは2026年5月8日に国家インターネット情報弁公室(CAC)、国家発展改革委員会(NDRC)、工業情報化部(MIIT)が共同で発布したもので、複数の法律専門家により「世界初のAIエージェント専用の国家規制カテゴリー」と評されています。従来の生成AI規制がコンテンツ(何を生成するか)を対象としていたのに対し、本規制はAIエージェントの意思決定・行動の権限(何をしてよいか)を規律の対象とする点が最大の特徴です。以下、その概要になります。

三層の意思決定権限モデル

規制の中核は、エージェントの自律的な行動を3段階の権限階層に分類し、段階に応じて人間の関与レベルを定める仕組みです。

階層説明代表的な活動人間の関与
レベル1日常的で影響の小さい業務スケジューリング、データ取得、基本的な顧客対応エージェントが自律的に進める
レベル2重要だが可逆的な決定契約内容の変更、価格設定の変更実行前に人間の承認が必要
レベル3影響が大きく、後戻りが困難な決定金融取引、法的文書の執行、安全に関わる制御措置自動化は禁止。人間へのエスカレーションが必須

出典: CSAレポート内で引用されている表を日本語化

適用範囲と域外適用

セクターごとにリスクが区分されており、医療・交通・メディア・公共安全は「高リスク分野」として、公開前の強制的な届出、コンプライアンステスト、リコール義務が課されています。リスクの低い消費者向けアプリケーションは、プラットフォームの自己評価や業界自主規制、信用ベースの執行にゆだねられています。加えて、「膨大なパラメータ規模・大規模ユーザー数・社会動員能力」を持つ汎用大規模モデルや、金融・医療・自動運転など重要インフラに組み込まれた専門モデルには、最も強い規制が留保されています。

適用範囲は中国の国境を越えます。企業の本社所在地に関わらず、エージェントが中国のユーザー・データ・市場運営に接触する組織はすべて対象となり得る、いわゆる域外適用型の規制となります。

CSAによる推奨事項(要約)

  • 即時対応(30〜60日): 中国関連のエージェント展開を棚卸しし、三層モデルに照らして分類。高リスク分野への該当有無、擬人化AI対話サービスへの該当有無、シャドーエージェント(未承認導入)の有無を確認。
  • 短期的対応(1〜2四半期): レベル2・3の意思決定について監査可能なログを整備し、実質的な人間によるオーバーライド機構を制度化。ベンダー契約上の責任分担の見直し。
  • 戦略的対応(6〜12か月): 特定国のコンプライアンスに個別対応するのではなく、アイデンティティ・権限のスコープ化・人間監督・監査ログを備えた、複数法域に対応できる社内エージェントガバナンス体制を構築。

文書の意味・意義

規制の視点の転換:「出力」から「権限」へ

本レポートが最も強調している点は、この規制が従来のAI規制の発想を転換させているということです。これまでの生成AI規制は、ラベル表示・正確性・禁止カテゴリーへの該当性など、AIが「何を生成するか」というコンテンツを対象にしてきました。これに対し、エージェントが行動を決定した後に「何をすることが許されているか」を問うものであり、規律の対象をコンテンツモデレーションの問題から、アイデンティティ・権限付与・監査ログというアクセス制御の問題へと移しています。この転換により、コンプライアンス対応の主体が法務チームからセキュリティチームへと移る、という実務上の帰結も指摘されています。

なぜこの転換が重要か

レポートは、2026年第1四半期だけで主要なエージェント型AIフレームワーク全体で約100件の脆弱性が公開され、資格情報の窃取・データの窃取・不正なツール呼び出しが実際の被害モードとなっていることを指摘しています。攻撃の起点はAIが生成した「中身」ではなく、AIエージェントに与えられていた「権限」そのものであり、この実態が三層の権限モデルによる規律という設計に直結しています。

また、域外適用性と責任の所在の曖昧さも重要な論点です。本社所在地を問わず中国関連のユーザー・データ・市場に接触する組織が対象となるため、多国籍企業は自社が対象に該当するかを法人登記地だけでは判断できません。加えて、権限付与モデルは「文書化された人間の監督」に責任の重心を置くため、ベンダーのエージェントを導入する企業がガバナンス責任を再交渉せずに済ませると、契約上想定していない責任を負うリスクが生じます。

留意事項

  • 原典であるCSAレポート自体が、「AI-assisted Rapid Research」と明記された、AIの支援により作成され正式なレビュー・承認プロセスを経ていない資料です。
  • 実際の法的判断・実務対応に用いる場合は、原典である「実施意見」の条文、および改正サイバーセキュリティ法・擬人化AI対話サービス措置の一次資料、必要に応じて現地弁護士への確認を推奨します。

まとめ

「生成結果」ではなく「権限」で規律するという方向性そのものは、法務関係者、agentic AIを利用する企業、そして中国と取引のある企業にとって、今後の規制動向を占ううえで注視しておく価値のある視点です。

ただし、本資料の評価にあたっては次の2点を踏まえておく必要があります。第一に、本レポートはCSAの公式レビュー・承認プロセスを経ていない、AI支援によるRapid Researchです(冒頭に “This document was generated with AI assistance and has not undergone official CSA review and approval processes.” と明記されている)。第二に、「欧米も同様の方向に向かっている」と断定するには、レポート内で挙げられている根拠がやや弱く、あくまで推測の域を出ません。

とはいえ、規制の発想が「出力」から「権限」へと転換しつつあるという着眼点自体には一定の説得力があり、読み手の立場や用途によっては有意義な参考資料になり得ると考えられます。

以上

ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門(全6回シリーズ)まとめ

シリーズで投稿しました「ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門」、全6回が揃いましたのでここにまとめてリンクを貼ります。

以上

ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門 ~ 第5回:ステップ5 — 監視と保守

2026年9月4日
ゼロトラストWGリーダー 諸角昌宏

この回のねらい

第1回で守る対象(プロテクトサーフェス)を定義し、第2回で流れを可視化し、第3回でアーキテクチャを構築し、第4回でポリシーを作った。これで一通りの実装は終わる。では、なぜまだステップ5「監視と保守」があるのか。答えは、ゼロトラストは「作って終わり」ではないからである。

図1:ゼロトラスト導入の5ステップ。ステップ5は、変化を検知したらステップ1へ戻る「反復」の入口でもある

ステップ5には2つの部分がある。監視(モニター):防御が正しく働いているか、異常が起きていないかを継続的に確かめることと、保守(メンテナンス):ポリシーや設定を、変化する環境に合わせて健全に保つことである。以下、順に見ていく。

よくある誤解:ステップ5から始めてはいけない

ステップ5はとかく忘れられがちだが、逆にステップ5から始めてしまう組織も多い。「とにかくログを全部集めて、何か悪いことが起きていないか探す」というやり方、いわゆるMDR的なアプローチである。だが、ログをすべてSIEMやデータレイクに放り込んで、そこから何かを見つけようとするのは骨が折れるうえ、それ自体は“防御”ではない。

MDRは検知と対応(Detection & Response)であって、防御・予防(Prevention)がない。したがって常に後手に回ることが多い。つまり、「侵害されて、どこで何が起きたかは分かったが、すでに侵害されてしまっている」という事態になりやすい。ゼロトラストが目指すのは、侵害はいずれ起きるという前提に立ちながらも、それが実際の被害に広がる前に、できるだけ手前で食い止めることである。まずステップ1〜4で防御を築き、そのうえでステップ5の監視で「まだ健全か、対応が要るか」を確かめる。この順序が肝心である。

監視(モニター)

ゼロトラストの原則の一つに、「すべてのトラフィックを検査し、記録せよ(inspect and log all traffic)」がある。監視が要であることを示す言葉である。プロテクトサーフェスを小さく切り分けたことで、一つひとつについて「いま何が起きているか」という多くの情報(ログ)が得られる。配置したコントロール(ファイアウォールやEDRなど)が、その動作結果を、こちらに知らせてくれるようになる。

ログとイベントは違う

まず、ログとイベントを区別したい。監視で主役になるのはイベントである。

ログイベント
中身見えたことの記録そのものセキュリティ機器が「意味のある出来事」を検知したもの
例IP AがIP Bにアクセス/プロセスが起動/ボタン押下ブルートフォース検知、マルウェア検知、普段と違う国からのログイン、大量アップロード
扱い調査(根本原因の追跡)に使う。全部を長期保存はしない監視の主役。1件ずつ検査する。より長く保持できる

表1:ログとイベントの違い(Threat Talksを基に作成)(注:本ブログで参照しているThreat Talksは、Threat Talks(ON2IT × AMS-IX)の解説動画である)

なお、ここでいう「イベント」は、セキュリティ機器がフィルタして「意味がある」と判定したものを指す(無害な状態変化のログは含まない)。一般的な情報セキュリティの用語では、サービスの起動・停止や設定変更といった無害な状態変化も含めて「イベント」と呼ぶ、より広い使い方をすることが多い。本稿では、そのうち監視の対象として意味を持つものに絞って「イベント」と呼んでいる。

トラフィックのログをすべて7年間も保存する必要はない(保存コストばかりかさむ)。一方、セキュリティ機器が検知したイベントは、1件ずつ確かめる価値がある。ログは、イベントが起きたときに根本原因をたどるための材料として効いてくる。

プロテクトサーフェスの「文脈」を足す

ここでステップ1が効いてくる。ファイアウォールのイベントは、そのままではIPアドレスしか教えてくれない。だが、そのIPが「どのプロテクトサーフェスか」に翻訳できれば、第1回で記録したメタデータ(所有者・重要度・扱うデータ)が結びつき、「Active DirectoryからCRMへのアクセス」といった業務の文脈が見えてくる。

同じイベントでも、文脈が違えば対応が変わる。たとえば「ブルートフォース攻撃をブロックした」という同じイベントでも、インターネットから顧客向けWebへの攻撃ならよくあることでブロック済みなら無視してよいと考えられる。しかし、もしそれが社内のActive Directoryから発生していたら、たとえブロックされていても調査すべきである。すでに誰かが侵入して横移動を試みているのかもしれない(あるいは、サービスアカウントのパスワード期限切れによる誤検知かもしれない)。いずれにせよ、起きてはならないことなので確かめる必要がある。

IoG/IoC/Unknown で振り分ける

では、大量のイベントをどうさばくか。有効なのは、イベントを3つに振り分ける考え方である。文脈を足すことで、この振り分けができる。

図2:イベントに文脈を足して、IoG/IoC/Unknown に振り分ける(Threat Talks「監視」回を基に作成)

  • IoG(Indicator of Good/良い兆候):防御が正しく働いた合図(例:インターネットからの攻撃をブロック)。記録して次へ行く。
  • IoC(Indicator of Compromise/侵害の兆候):明らかに不正(例:重要なプロテクトサーフェスでEDRがマルウェアを検知)。即対応する。
  • Unknown(不明):断定できないもの(例:ADからWebメールへのブルートフォース)。SOCエンジニアが調査する。

多くのツールは、機器が出す「中身(コンテンツ)」だけを見るため、良い判断が難しい。ゼロトラストは、ここにステップ1の文脈を足せる点が強い。おすすめしたいのは、「ログを全部ためて、その中から怪しいものを拾う」のではなく、機器が出すイベントを1件ずつ、順に検査していくという発想である。コントロールはそれぞれ意味があって置かれているものなので、本来は良いイベントを上げてきてくれるはずである。もし何も上がってこないようなら、ツールの選び方や設定を見直すサインかもしれない。イベントの数は膨大になるため自動化が前提になるが、その自動化を支えるのが、いま述べた文脈「そのイベントがどのプロテクトサーフェスのものか(所有者・重要度・扱うデータ)」という背景情報である。同じイベントでも、文脈があれば振り分けやすくなるが、なければ判断がつきにくい。AIも助けにはなるが、この文脈を与えて初めて、より的確に働いてくれると思われる。

対応の自動化(Rules of Engagement)とキルスイッチ

振り分けの先には、対応の自動化(Rules of Engagement)がある。プロテクトサーフェスの重要度に応じて、どこまで自動で対応するかを決めておく。たとえば、ERPのような重要なプロテクトサーフェスで、EDRがランサムウェアだと判定したプログラムが動き出したら、そのプロテクトサーフェスをネットワークから隔離(キルスイッチ)して影響範囲(ブラスト半径)を抑える。

この隔離は、完全に自動化することも、人が承認する形にすることもできる。確度の高い脅威(明らかなIoC)で、かつランサムウェアのように広がる速度が速いものは、人の判断を待つ時間自体が被害を広げてしまうため、全自動で即座に遮断する運用が現実的である。一方、誤検知の影響が大きい場面などでは、自動化が「これを実行してよいか」という提案だけを整え、SOCが承認ボタンを押して実行する中間形(半自動)も取れる。どちらか一方に決める必要はなく、全自動が不安なら、まず承認を挟む形から始め、信頼度が上がったら段階的に自動化を広げる、という進め方もできる。ただし承認を待つ間にもランサムウェアは広がるため、承認フローを選ぶ場合でも、できるだけ素早く判断できる体制にしておく必要がある。

そして基本姿勢は防御優先(prevention first)である。IPS等は検知モードではなくブロックモードで使う。最良の対応ルールは「防いでブロックする」ことであり、最悪は「侵害されてから原因を探す」ことである。ブロックできたら、その結果をイベントとして受け取り、検査する。

キルスイッチは「セグメンテーションの通信簿」

あるプロテクトサーフェスを丸ごと遮断しようとすると、実はネットワークが十分に分離されておらず、「遮断したらネットワークの半分が止まる」と判明することがある。この予期しない巻き添えの大きさ(ブラスト半径の大きさ)は、次の2つのどちらか、あるいは両方が不十分だったことを教えてくれる。

  • ステップ1:守る対象を、他と混ざらない形で明確に切り分けて定義できていたか(プロテクトサーフェスの境界があいまいなままだと、1つを止めるつもりが他まで巻き込んでしまう)
  • ステップ3:その分離を、設計どおりマイクロセグメンテーションとして実装できていたか(設計は分離のつもりでも、実装が甘いと同じセグメントに相乗りしたままになる)

つまり、「これを止めたら他も止まる」と分かった瞬間は、分けたつもりで実は分かれていなかったことの証拠であり、実地で見落としを発見できる機会でもある。だからキルスイッチの検討は、なぜプロテクトサーフェスをきちんと分けるべきかを組織に示す良い材料にもなる。

保守(メンテナンス)

監視と並ぶもう一つの柱が保守である。作った防御は、放っておくと質が下がっていく。それに抗う仕組みが保守である。主な観点は次のとおりである。

ポリシーの検証

ここでいうポリシーは、いわゆる情報セキュリティ方針のたぐいのものではなく、実際に機器で動いている運用ポリシー、つまりファイアウォールのアクセス規則、EDRの設定などである。とくにファイアウォールでは、新しいアクセスは足されるが、不要になったアクセスは消えずに残りがちである。サーバーを撤去しても何も壊れないので誰も申告せず、「壊すのが怖い」ため規則は何年も放置される。今はネットワークセキュリティポリシー管理(NSPM)ツール(Tufin、AlgoSec、FireMon など)や、ファイアウォール自体に組み込まれた分析機能(例:Palo Alto NetworksのPanoramaが持つセキュリティポリシーオプティマイザ)を使えば、使われていない・重複した規則を検出できるので、変更のたび(少なくとも定期的)に、ポリシーが今も正しいかを点検する。ログが無効になっていないか、EDRでディスク全体をスキャン除外していないか、消し忘れの一時規則がないか、構成管理に近い実際に動いている設定の点検である。

ベンダー更新と“眠っている新機能”

ファイアウォール等は、クラウド経由で自動更新される。シグネチャだけでなく、新機能が配信されることもある。典型的なのは、新しいURLカテゴリ(例:登録されたばかりのドメイン)の追加である。ところがベンダーは、更新で通信を突然止めて障害を出さないよう、新機能を既定で「許可(=素通り)」にして配信することが多い。そのため多くの人が新機能に気づかず、有効化しないまま眠らせてしまう。すでに料金を払っている機能なので、更新のたびに点検し、そのプロテクトサーフェスに使えるものは有効化する。機器を新調したときも、古い設定をそのままコピーせず、新機能を評価し直すことが必要である。

トランザクションフローと実態の突き合わせ

第2回で「どのプロテクトサーフェス同士が通信してよいか」を(業務オーナーの合意のもとで)定義した。運用フェーズでは、定義したフローと、実際に観測されるフローを突き合わせる。定義したのに見えないフローがあれば、ステップ2の誤りか設定ミスを疑う。逆に、定義していないのに流れているフローがあれば、なぜかを調べる。つまり、正当なものか、それとも横移動の兆候かである。ステップ2〜4を正しくやれていれば、本来ここはきれいに一致するはずで、ずれはこれまでの仕事を検算する良い機会になる。

挙動分析(ベースライン)

ここで、監視の節との関係を整理しておきたい。両者は矛盾しているように見えて、実は役割が異なる、補完し合う仕組みである。

  • イベント検査(監視の節):機器が、その場・その1件について「これは意味がある」と判定したものを、その都度チェックする(リアルタイム・1件単位)。ここで人間(SOCエンジニア)が見るのは、あくまで機器が意味づけ・絞り込んだ結果である。
  • 挙動分析:時間をかけて蓄積したログ全体を、機械学習が処理し、統計的な「通常の姿(ベースライン)」を学習して、そこからの逸脱を見つける(蓄積・傾向単位)。ログ全体に目を通すのは機械学習であって、人間ではない。人間が見るのは、やはりベースラインから外れたという判定結果(アラート)だけである。

つまり、「全部のログを人間が精査する」というやり方には、どちらの仕組みでも戻らない。同じログという材料を、機器が1件ずつその場で判定する(イベント検査)か、機械学習が蓄積してから傾向として判定する(挙動分析)かの違いであり、いずれも人間が最終的に目にするのは、絞り込まれた結果だけである。

挙動分析が拾えるのは、単発のイベント検査では見えない、じわじわとした変化や、複数の小さな兆候の積み重ねである。やり方は、ログをXDR(あるいは次世代SIEM・SIEM 2.0とも呼ばれる仕組み)に集約し、機械学習にかける。すると「自分たちの環境では、ふだんこういう挙動が普通だ」という平常時の姿(ベースライン)を学習できる。そのうえで、ベースラインと大きくかけ離れた挙動、つまり普段と違う量・普段と違う相手・普段と違う時間帯のトラフィックなどが現れたら、アラートを上げる。

ただし、誤検知(false positive)が多くなりやすいという弱点も認識しておきたい。たとえば小売業なら、繁忙期(セール・年末商戦など)に通信量が跳ね上がるのは正常な変化だが、対策をしていなければベースラインから外れた「異常」として大量にアラートが出てしまう。同様に、システムの一部がフェイルオーバー(切り替え)しただけでも、普段と違うトラフィックパターンとして検知され、誤検知につながりやすい。

こうした誤検知を抑えるには、季節性やイベントごとの例外をあらかじめ調整しておく必要があり、ある程度の運用の作り込みが求められる。そのため挙動分析は、監視・保守の他の要素(イベントの振り分け、ポリシー検証、フロー突合)が一通り運用に乗ってから取り組む、成熟度の高い最後の一手として位置づけるのが現実的であると考える。

アーキテクチャの変化は「ステップ1へ戻る」合図

クラウド移行、VMからコンテナへ、オンプレのKubernetesからクラウドへ、サービスメッシュのサイドカー廃止など、こうしたアーキテクチャの変化は、可視性を変えてしまう。たとえばサイドカーがあれば見えていた通信が、廃止で見えなくなる。ネットワーク的には分離しているつもりでも、すべてが一つのプラットフォームに集約されれば、もはや分離ではなくなる。

怖いのは、クラウドチームが移行を進め、ネットワークチームが気づかないうちに「見えなくなる」ことである。監視で「これまで見えていた2つのプロテクトサーフェス間の通信が、急に見えなくなった」と気づいたら、それは大きな合図である。こうした変化を検知したら、ステップ1に戻ってやり直す。5ステップは反復であり、ステップ5は次の反復の引き金である。ただし大枠はできているので、多くの場合は所有者や一部のコントロールなど、変わるのはわずかな部分だけである。だからこそ、ゼロトラストの考え方をCISOの上まで含め、組織のあらゆる層に根づかせ、開発者が「クラウドネイティブな機能を使うと、セキュリティに影響するかもしれない」と気づける状態にしておくことが大切になる。

まとめ — そして、また1へ

最終回では、作った防御を健全に保つステップ5を扱った。要点は次のとおりである。

  • ステップ5から始めない。まずステップ1〜4で防御を築く(MDRだけでは常に後手)
  • 監視はイベントが主役。1件ずつ検査し、プロテクトサーフェスの文脈でIoG/IoC/Unknownに振り分ける(自動化+文脈)
  • 対応は自動化(Rules of Engagement)と防御優先。重要なPSはキルスイッチで隔離し、ブラスト半径を抑える
  • 保守で質を保つ:ポリシー検証・眠った新機能の有効化・フローと実態の突き合わせ・挙動分析
  • 大きな変化はステップ1へ戻る合図。5ステップは回り続ける

そして、ここまでの5ステップを、最初から全システムに広げる必要はない。第1回で示した「練習台から本命へ」がここでも効いてくる。まずは重要度の低い1つのプロテクトサーフェスで、定義・可視化・構築・ポリシー・監視保守という一連の流れを小さく回してみる。そこで運用を成熟させ、勘所をつかんでから、優先度の高いシステムへと広げていく。小さく始めて、回しながら育てるのが、5ステップを無理なく定着させる進め方である。

プロテクトサーフェスを定義し(1)、流れを可視化し(2)、アーキテクチャを構築し(3)、ポリシーを作り(4)、監視と保守で守り続ける(5)。そして、環境が変われば、また1に戻る。ゼロトラストは、一度きりのプロジェクトではなく、回し続ける取り組みである。この5ステップという実践的な地図があれば、その歩みを、着実に、そして繰り返し進めていける。全5回(+第1.5回)にわたる本シリーズを、実装の一助としていただければ幸いである。

以上

ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門 ~ 第4回:ステップ4 ゼロトラストポリシーの作成

2026年9月1日
ゼロトラストWGリーダー 諸角昌宏

この回のねらい

第1回で守る対象(プロテクトサーフェス=DAAS)を定義し、第2回でその周りのトランザクションフローを可視化し、第3回でPEP(ポリシー実施ポイント)を配置したアーキテクチャを設計した。配置したPEPは、まだ「何を通し、何を止めるか」というルールを持っていない。そのルールであるゼロトラストポリシーを作るのが、本編のステップ4である。

図1:ゼロトラスト導入の5ステップと、本稿が扱うステップ4(CSA文書の5段階プロセスを基に作成)

ステップ4のねらいは、ゼロトラストをアプリケーション層(L7)のポリシー文として具体化することである。第3回のPEPに、このプロテクトサーフェスへ「誰が・何に・どんな条件でアクセスできるか」を、細かい粒度で書き下ろしていく。

ゼロトラストポリシーとは

ゼロトラストポリシーは、セキュアなアーキテクチャの要石(cornerstone)である。ポイントは3つある。1つめは、プロテクトサーフェスにできるだけ近い場所(PEP)で適用すること。2つめは、最小特権・デフォルト拒否で、必要なアクセスだけを明示的に許可し、それ以外はすべて拒否する。3つめは、ポリシーは最初は静的でも、ZTAの成熟に合わせて動的に進化させることである。

また、ゼロトラストポリシーはアプリケーション層(OSI L7)で書く。IPアドレスやポート(L3/L4)だけでなく、「どのアプリの・どの操作を・どのアイデンティティに許すか」というアプリケーションの文脈で表現する点が、従来のファイアウォールルールとの違いである。

もう一つ大切なのが、ポリシーはまずビジネスの視点から出発し、それを技術的なルールに翻訳するという二段構えである点である。たとえば「営業担当は、勤務時間内なら自宅からでもCRMにアクセスしてよい」というのはビジネス上の方針(業務要件)である。これを、ファイアウォールやIdPが実際に強制できる形、つまりユーザーグループ、時間帯、場所の条件に落とし込む。翻訳のしやすさは使うツールに依存する。新しめのファイアウォールならユーザーグループのまま書けるが、古いものではIPアドレスに変換する必要があり、手間が増える。ビジネス要件の定義は業務オーナーが担い、技術ポリシーへの実装は、プロテクトサーフェスがきちんと定義されていれば、セキュリティ担当やSOCが引き受けられる。

プロテクトサーフェス、トランザクションフロー、ポリシーの関係

ポリシーを書く前に、これまでのステップとの関係を押さえておく。この3つは、次のような連鎖でつながっている。

図2:プロテクトサーフェス、トランザクションフロー、 ポリシー

  • プロテクトサーフェス=ポリシーの「主語」:ポリシーは「このプロテクトサーフェスへ、誰が・何にアクセスできるか」を定める。守る対象(ステップ1)が決まって初めて、ポリシーの主語が決まる。
  • トランザクションフロー=ポリシーの「材料・下書き」:ステップ2で可視化した「実際にどんなアクセスが・どの経路で流れているか」が、そのままポリシーの下書きになる。フローにある流れは許可の候補、フローにない流れは原則拒否する。
  • ポリシー=許すものを明示:フローのうち、業務上正当なものだけをキプリングメソッドで許可として書き下ろし、それ以外はデフォルト拒否とする。

一言でいえば、守る対象(プロテクトサーフェス)への、実際の使われ方(トランザクションフロー)を、ポリシーとして書き下ろす、という関係である。だから、ステップ2のフローのマッピングが甘いと、ステップ4のポリシーも甘くなる。必要なアクセスを漏らして業務を止めるか、余計なアクセスを許してしまう。フローの精度が、そのままポリシーの精度になる。

ここで、ポリシーをめぐる3つの役割を、時間軸で分けて押さえておきたい。ここは混同しやすいところである。

  • 定義する(事前・人間):業務オーナーとセキュリティ担当が、キプリングメソッドでポリシーを作る(ステップ4)。作ったポリシーはPDPに登録しておく。
  • 判断する(実行時・PDP):アクセス要求のたびに、PDPが、その登録済みポリシーに、データソースから得た“今の状況”(本人性・端末状態・リスク等)を照らして、許可/拒否を判断する。
  • 強制する(実行時・PEP):経路上に配置したPEP(ステップ3)が、PDPの判断結果を実行する。

つまり、第3回で「PDPは様々なデータソースから情報を得る」と述べたのは、PDPがポリシーを作っているのではなく、人間が作った登録済みポリシーを評価するために、その場の状況を集めている、という意味である。ポリシーを作るのは人間(ステップ4)、それを状況に照らして判断するのがPDP、判断を強制するのがPEP。この切り分けを押さえると、「PEPがPDPの判断に従って実行する」と「PDPは様々なソースから情報を得る」が、どちらも実行時の同じ動きを指していることが分かる。

キプリングメソッド — 5W1Hでポリシーを書く

では、ポリシー文はどう書くのか。ここで用いるのがキプリングメソッドである。作家ラドヤード・キプリングの「6人の召使い(Who・What・When・Where・Why・How)」になぞらえた方法で、この6つの問いに答えることで、プロテクトサーフェスへのアクセスを許すべきエンティティを、細かい粒度で定義できる。

図3:キプリングメソッド(5W1H)でゼロトラストポリシー文を組み立てる(CSAのゼロトラスト関連ガイダンスを基に作成)

問い何を決めるか属性の例
Who(誰が)どのエンティティにアクセスを許すか(人・非人間の両方)役割、ユーザー、サービスアカウント、ボット
What(何に)何にアクセスするか/どんな文脈(コンテキスト)でアクセスするか対象リソース、操作、機微度
When(いつ)アクセスを許可する時間帯・条件営業時間、期間、頻度
Where(どこから)許可する場所・ネットワーク・地理的範囲社内/VPN、国・拠点、既知の端末
Why(なぜ)そのエンティティがアクセスする正当な理由(業務上の根拠)業務プロセス、職務上の必要性
How(どうやって)5W を満たすための技術的統制MFA、mTLS、暗号化、最小特権

表1:キプリングメソッドの6つの問い

重要なのは、Whoに人だけでなく非人間(サービス・アプリ・ボット)も含めることである。ゼロトラストでは、ワークロード同士の通信も検証の対象になるため、「決済アプリが会員データにアクセスする」といった非人間のアクセスも、同じ6つの問いで定義する。CSA文書では、これに「どれだけの時間(for how long)」を加えて、アクセスの有効期間まで定めることを勧めている。

具体例:クレジットカードのポリシー文

ここで、ポリシーとPEPの関係を正しく押さえておく。ポリシーは「PEPに対して」ではなく、「プロテクトサーフェスへの各アクセスに対して」作る。そのうえで、判断はPDP(ポリシーエンジン)が行い、経路上のPEPが適用・強制する。つまり流れは「プロテクトサーフェスに対してポリシーを作る → PDPが評価する → PEPが実行する」である。

まず、クレジットカードのプロテクトサーフェスへのアクセスを、キプリングメソッドで2つ書き下ろす。人(引受担当者)と非人間(決済アプリ)の両方を示す。

問い例1:引受担当者 → 引受審査アプリ(人)例2:決済アプリ → カード会員データ(非人間)
Who役割=引受担当者サービスアカウント=決済アプリのワークロード
What引受審査アプリで与信判定を行うカード会員データの該当レコードを読む
When営業時間内取引処理中(都度)
Where社内/VPN・管理端末想定された内部経路(同一PS内)
Why与信審査という業務上の必要決済処理に必要な参照
HowMFA+準拠端末、セッション短時間・再評価mTLS+最小権限(該当レコードのみ)

表2:キプリングメソッドによるポリシー文の例(クレジットカードのプロテクトサーフェス)

例1は「引受担当者が、社内の管理端末から、営業時間内に、与信審査のために、MFA付きで引受審査アプリを使う」という一文に相当する。例2は「決済アプリのワークロードが、取引処理中に、mTLSで、カード会員データの該当レコードだけを読む」という一文である。この条件を満たさないアクセスは、すべて拒否される。

同じ要領で、外部SaaSを使う人(営業担当)と、非人間(ATM)の例も書ける。

問い例3:営業担当 → CRM(人・外部SaaS)例4:ATM → 決済取引(非人間)
Who役割=営業担当登録済みATM(証明書で識別)
What顧客訪問の記録をCRMに登録する現金引き出しの決済取引を実行する
When営業時間内営業時間内
Where自宅可(外出先)だが会社支給端末・SASE経由登録拠点のATM網からのみ
Why訪問記録という業務上の必要利用者の引き出し要求に応じる
HowSASE経由+MFA、CRM側は自社経由のみ許可クライアント証明書+EMV認証、限度内に制限

表3:キプリングメソッドによるポリシー文の例(つづき)

例3の営業担当は、外出先の自宅からでもCRMに記録できるが、会社支給端末でSASE経由に限る。CRM(SaaS)側は自社経由のアクセスだけを通す。例4のATMは、登録拠点・クライアント証明書・EMV認証・限度額という条件で、決済取引だけを許す。人か非人間か、内部か外部SaaSかで、5W1Hの埋め方が変わるのが分かる。

これらのポリシーが、第3回で配置したどのPEPで実行されるかを対応づけると、次のようになる。プロテクトサーフェスへの各アクセス(フロー)に対してポリシーを定義し、その経路上のPEPが適用・強制する、という関係が見て取れる。

プロテクトサーフェスへのアクセス(フロー)ポリシーの要点(許可する条件・それ以外は拒否)適用・強制するPEP
顧客/営業担当 → カードWebアプリ(入口)顧客=MFA+既知デバイス/営業担当=SASE経由・会社支給端末・営業時間内入口のPEP
カードWebアプリ → 引受審査(内部)引受担当者=社内/VPN+管理端末+MFA、営業時間内、与信判定のみアプリ手前のPEP
アプリ → カード会員データ(最重要データの手前)決済アプリのサービスアカウント=mTLS+該当レコードのみ。人間の直接アクセスは拒否データ手前のPEP
引受審査 → 信用調査機関(外部接続)与信照会のトランザクションのみ(想定プロトコル・宛先)外部接続のPEP
ATM → 決済取引(非人間の入口)登録済みATM+クライアント証明書+EMV認証、限度額内ATM経路のPEP

表4:プロテクトサーフェスへの各アクセスに対するポリシーと、それを実行するPEP

たとえば「アプリ → カード会員データ」のフローには、決済アプリのサービスアカウントがmTLSで該当レコードだけを読むというポリシーを定義し、データ手前のPEPがそれを強制する。人間が直接クエリしようとしても、このPEPで拒否される。ポリシーはあくまでプロテクトサーフェス(守る対象)を主語に作り、PEPはその実行場所である、という点がここでも確認できる。

1回のアクセスがどう実行されるか — 人と非人間で追う

「配置したPEPが、PDPの判断に従ってポリシーを実行する」を、実際の1回のアクセスで具体的に追ってみる。人(引受担当者)と非人間(決済アプリ)の2本を並べると、判断材料(データソース)が違っても、流れは同じであることが分かる。

図4:1回のアクセスが実行される流れ(人・非人間の2例)

【人】引受担当者が引受審査アプリにアクセスする1回:

  • ① 要求:引受担当者の要求が、アプリ手前のPEPに届く。
  • ②③ 照会・評価:PEPは自分で判断せず、PDPに照会。PDPはデータソースで本人性(IdP/MFA通過)、端末状態(管理端末か)、時間(営業時間内か)を確認する。
  • ④⑤ 判定:ポリシー『引受担当者=社内/VPN+管理端末+MFA、与信判定のみ』に照らして許可と判定し、PEPに返す。
  • ⑥ 強制:PEPが許可を強制し、与信判定の操作だけを通す。

【非人間】決済アプリがカード会員データを読む1回:

  • ① 要求:決済アプリのサービスアカウント(SA)が、該当レコードの読取りを要求する。
  • ②③ 照会・評価:PEPがPDPに照会。PDPはSAの正当性とmTLS証明書の有効性、要求元が想定ワークロードかを確認する(ここでの判断材料は、人の場合のMFA・端末状態ではなく、証明書・ワークロードの正当性)。
  • ④⑤⑥ 判定・強制:ポリシー『決済アプリのSA=mTLS+該当レコードのみ』に照らして許可し、PEPが該当レコードだけを通す。

もし人間が同じカード会員データに直接クエリしようとすると、②〜⑤で条件(SA・mTLS・想定経路)を満たさないため、⑥のPEPで拒否される。同じデータでも、正規のワークロード経由なら通し、それ以外は止まる。これが「ポリシーをPDPが評価し、PEPが実行する」の具体像となる。

ステップ3(CBAC)とのつながり

第3回で見たCBAC(コンテキストベースアクセス制御)と、このステップ4は表裏一体である。キプリングメソッドで書いた5W1Hが、そのままCBACの評価属性になる。Whoは主体の役割、Whereは場所・ネットワーク、Whenは時間、Howは技術的統制。これらをPDPのポリシーエンジンが評価し、PEPが強制する。つまり、ステップ4で「ルールを言葉で定義」し、ステップ3のアーキテクチャで「そのルールを実行」する、という関係になる。

特権アクセス(管理者)のポリシー

ポリシー作成で、とりわけ慎重に扱うべきなのが管理者(特権)アクセスである。管理者は多くのシステムに広くアクセスできるため、攻撃者にとって格好の標的であり、ひとたび乗っ取られると内部を横移動され、影響範囲が一気に広がる。だからこそ、通常ユーザー以上に厳格なポリシーを敷く。CSA文書も特権アクセスの制御を重要な統制として挙げている。ここでも、ステップ1〜4の流れがそのまま効いてくる。

  • 踏み台を独立したプロテクトサーフェスにする(ステップ1):管理作業は、隔離できる踏み台(jump host/bastion)からのみ行う。踏み台自体を1つのプロテクトサーフェスとして定義する。
  • アイデンティティの分離(ステップ2):普段のアカウント(メール・チャット等)と管理用アカウントを完全に分ける。「山田」と「管理者・山田」は別ID・別環境とし、インターネットにつながる普段の端末から管理作業をしない。こうしないと許可すべきフローが増え、横移動が容易になる。
  • 踏み台への到達を最も固く(ステップ3・4):まずネットワークで絞る(社内の限定IP/ユーザーIDからのみ)。ネットワーク到達が無ければ攻撃者は何もできない。認証は、ID・パスワードだけでは弱いため、クライアント証明書+MFAトークンを重ねる。
  • PAM・短命セッション:特権アクセス管理(PAM)で、対象システムへの権限をその都度要求させ、短命の認証情報(短寿命のSSHトークン等)で、必要な間だけ付与する。踏み台から管理対象への接続も同様に絞る。
  • 踏み台の上でできることを絞る:メールもインターネットアクセスも不可。外部へは出させず、内部の必要な資源(ファイル共有、コンテナレジストリ等)だけに限定する。OS更新なども、ダウンロードをスキャン・ハッシュ検証するプロキシ経由で取り込み、時間帯も制限できる。最も避けたいのは、踏み台に遠隔操作ツールを仕込まれることである。
  • できれば映像のみ(KVM):最も厳格にするなら、データ転送を伴わない映像(KVM)アクセスに限る。一般にはRDPで踏み台に入る運用が多い。

狙いは、万一、踏み台が侵害されても攻撃者に何もさせないこと、つまりデータを持ち出せず、指示(マルウェア等)も送り込めない状態にする。そして、踏み台にアクセスする全員を監査する。この監査こそ、次回のステップ5(監視と保守)につながる。なお、いまは管理用アカウントを分ける組織は増えたが、依然としてインターネットにつながる普段の端末から管理作業をしている例が多く、ここは改善の余地が大きい。

インシデントの検知と対応

ステップ4は、アクセスポリシーを定義するだけではない。CSA文書は、ステップ4の活動にインシデント検知・対応メカニズムの構築も含めている。ポリシーに反するアクセスや、正常な動作からの逸脱を検知したら、アラートを上げ、遮断や再認証などの対応につなげる。第2回でマッピングしたトランザクションフローが「正常の基準」となり、そこからの逸脱が検知の手がかりになる。

ファイアウォールだけではない — ポリシーの適用先

「ポリシー」と聞くとファイアウォールのルールを思い浮かべがちだが、ゼロトラストポリシーの適用先はそれだけではない。ステップ3で選んだ各コントロールに、それぞれポリシーを与えて初めて機能する。

  • SaaS/クラウド:クラウドは「誰でも扉を叩ける」のが弱点。SASE(クラウド上のファイアウォール)で通信を自社経由に集約し、SaaS側で「自社を経由した通信だけを許可する」よう設定する。その”自社経由である”ことを伝える手段として、大きめのSaaS(Microsoft 365・Google・Salesforce等)では通信に目印を差し込むヘッダー挿入、小さめのSaaSでは自社の出口IPだけを通すIP許可リストを使う。いずれも入口が自社経由に限定され、インターネットからの直アクセスを排除できるため、アタックサーフェスが大きく下がる。
  • エンドポイント(XDR):コントロールがあっても、ポリシーがなければ何も止めない。たとえばカード会員データを扱うサーバーや引受担当者の端末で、ランサムウェア防御モジュールを有効化し、DBに触れてよいアプリを許可リストで限定する(未知のプロセスがカード会員データに触れたら遮断)。
  • アイデンティティ基盤(IdP):条件付きアクセスで、場所・時間・デバイスまで絞る。たとえば引受担当者のログインは『社内/VPN+管理端末+営業時間内+MFA』でのみ許可し、私物端末や深夜・国外からは追加認証か拒否とする。MFAも“ただ有効”では不十分で、設定を誤ると穴になる。
適用先クレジットカードでの具体例狙い
SaaS/SASE規制報告の提出ポータルや営業のCRMを、SASEで自社経由に集約し、SaaS側は『自社経由のみ許可』外部からの直接アクセスを排除
エンドポイント(XDR)カード会員データを扱うサーバーと引受担当者端末に、ランサム防御を有効化+DBに触れるアプリを許可リスト化端末・サーバー側で不正を遮断
IdP(条件付きアクセス)引受担当者は社内/VPN+管理端末+営業時間+MFAでのみログイン可。私物・深夜・国外は追加認証/拒否ログインの入口を状況で絞る

表5:ポリシーの適用先と、クレジットカードでの具体例

すべてに共通する原則は、具体的であること、そして業務上の正当性があることである。「全員がインターネットへ」のような広すぎるルールは避ける。理由(業務上の必要)がないポリシーは、そもそも作らない。

ポリシーの検証と見直し — 最も見落とされがち

ポリシーは作って終わりではない。むしろ検証(見直し)こそ最も見落とされがちな工程である。新しいアプリを動かすためにルールを足すのは自然に起きるが、アプリが廃止されてもルールは自動では消えないし、誰も困らないので放置され、ポリシーが腐敗(decay)していく。検証では、少なくとも次を確認する。

  • ステップ2と突き合わせる:そのフローは、ステップ2で「このプロテクトサーフェス間の通信は許す」と決めたものか。新たな要望なら、両プロテクトサーフェスの業務オーナー同士が合意して初めて許可する。
  • 具体的で、十分に厳格か:any/any のような広いルールを残さない。L4(ポート)ではなくL7(アプリケーション)で書き、必要ならスキャンや復号まで行う。
  • ツールの機能を使い切る:機器の自動更新で増えた新機能が未使用のまま眠りがち。たとえば新しいURLフィルタのカテゴリが追加されるとき、業務を止めないよう既定で「許可」で入ることが多い。ところがこの「許可」は、通信を通すだけでログも残さない設定になっていることが多く、その結果、該当する通信が起きていても管理者からは見えない(可視性が失われる)。更新のたびに、こうした新機能・カテゴリの設定を点検する。
  • 自動化する:PEPは多いので、変更のたび/毎日、構成を取得して整合を自動チェックするのが理想。難しければ、定期的に人が見直す。

この見直しは、5ステップを一度で終わらせず、繰り返し回していくことの一部でもある。業務オーナーの交代はステップ1、新たな通信要望はステップ2、新しいコントロールの必要はステップ3と、変化に応じて各ステップに戻る。ポリシーが「最初は静的でも、運用しながら動的に育つ」のは、この反復があるからである。まず1つのプロテクトサーフェスで作り込み、成熟させてから次へ広げる、という「練習台から本命へ」の考え方(第1回)も、ここで効いてくる。

ポリシー作成・検証の実務ポイント

  • デフォルト拒否から始め、必要なアクセスだけを明示的に足していく
  • 具体的に(広すぎる any/any を避け、L7・業務の言葉で書く)
  • 人と非人間(ワークロード・API・ボット・デバイス)の両方をWhoに含める
  • 業務上の正当性がないポリシーは作らない/廃止時はルールも消す
  • 自動で構成を点検し、更新で増えた機能・カテゴリの取りこぼしを防ぐ

まとめ

第4回では、配置したPEPにルールを与えるゼロトラストポリシーを作るステップ4を扱った。要点は次のとおりである。

  • ポリシーはアプリケーション層(L7)で、最小特権・デフォルト拒否を原則に、プロテクトサーフェスの近くで適用する
  • 書き方はキプリングメソッド(Who・What・When・Where・Why・How+どれだけの時間)。人だけでなく非人間も対象にする
  • 5W1HはそのままCBACの評価属性になり、ステップ3のアーキテクチャが実行する
  • 適用先はファイアウォールだけでなくSaaS/SASE・エンドポイント・IdPにも及ぶ。管理者アクセスは踏み台・アイデンティティ分離で特に厳格にする
  • 作って終わりにせず検証・見直しを(自動で)繰り返す。廃止時はルールも消し、静的から動的へ育てる
  • ステップ4にはインシデント検知・対応の構築も含まれる

守る対象を定め(1)、流れを可視化し(2)、アーキテクチャを構築し(3)、ポリシーを作った(4)。最終回(第5回)は、ステップ5「監視と保守」を扱う。すべてのトラフィックをアプリケーション層まで検査・記録し、そのテレメトリを使って、プロテクトサーフェスを継続的に強くしていく。ゼロトラストを「作って終わり」にしないための最後のステップである。

以上