ゼロトラスト実装の5ステップ(NSTACモデル)入門 ~ 第1.5回:ゼロトラストの位置づけ — 情報セキュリティ全体の中でどこを担うのか

2026年8月11日
ゼロトラストWGリーダー 諸角昌宏

この回のねらい

第1回では、ゼロトラストの出発点である「プロテクトサーフェスの定義」を扱い、守るべき対象をDAAS(データ・アプリケーション・資産・サービス)として業務単位で束ねる考え方を見た。すると自然に、次のような疑問が湧いてくる。

「ゼロトラストは、組織の情報セキュリティ全体の中でどこを担うのか。ISMSやCSFといったリスク管理の枠組みがあれば、それで十分ではないのか。」

今回(第1.5回)では、この問いについて考える。ここでは、ゼロトラストを情報セキュリティリスクマネジメントの国際規格 ISO/IEC 27005(および ISO/IEC 27001)と突き合わせ、役割分担を明らかにすることとする。結論を先に言えば、ゼロトラストはリスク管理に取って代わるものではなく、その中で「技術的な情報資産への防御」を担う実装である。

結論:リスク管理の枠組みとゼロトラスト・アーキテクチャは役割が異なる

まず全体像を押さえる。ISMS(ISO/IEC 27001、27005)やCSFは、「何を・どこまで守るか」を決める“傘”(計画・統治)である。組織のあらゆる資産である情報・業務プロセス・ソフト・ハード・ネットワーク・要員・拠点・組織を洗い出し、リスクを評価し、対応方針(修正・保有・共有・回避)を決める。いわば防犯計画にあたる。

一方、ゼロトラストは、その計画に基づいて「情報資産へのアクセスを実際に守る」実装の一つである。防犯計画に対する「各部屋の鍵と、入るたびの本人確認」にあたる。計画書だけでは侵入者は止まらない。止めるのは実際の鍵であるゼロトラストのような具体策である。

図1:ISMS/CSFという「傘」(計画・統治)の下で、ゼロトラストが技術層を担う。物理・人・組織は別の層が担い、重ね合わせて全体を守る

重要なのは、両者は競合せず重ねて使うという点である。ISMS/CSFだけでは、計画はあっても実際に守る手段が空く。ゼロトラストだけでは、守る手段はあっても全体を見渡す計画がない。両方そろって初めて、計画に沿ってアクセスを確実に守れることになる。

前提の共有:ISO/IEC 27005 の資産分類

ISO/IEC 27005:2022 は、リスク特定の方法として資産ベース(asset-based)とイベントベース(event-based)の2つのアプローチを示している。両者は排他的なものではなく、リスクシナリオの構築において組み合わせて用いることができる。本ブログでは、ゼロトラストのプロテクトサーフェスとの関係を説明しやすい資産ベースの捉え方を軸に取り上げる。

ISO/IEC 27005 は、守るべき資産を2種類に分けて捉える。

  • 主要資産(primary assets) — 組織にとって価値の源泉。「情報」と「業務プロセス・活動」の2つからなる。
  • 支援資産(supporting assets) — 主要資産が依存する構成要素。ソフトウェア、ハードウェア、ネットワーク、要員、拠点、組織体制など。

ここで大切なのは、ISO/IEC 27005は、人・物理・組織まで含めた「すべての資産」を洗い出すことを前提にしている点である。何があるか分からなければリスクも評価できない、という建て付けであり、NIST CSFも最初の機能が「識別(Identify)」であるように、網羅はリスク管理の出発点になる。つまり、組織全体の「網羅」を担保するのは、この傘(ISMS)側の役割である。

補足:リスクの捉え方 — 資産ベースとイベントベース

ISO/IEC 27005:2022 は、リスクを特定する方法として、性格の異なる2つのアプローチを認めている。

アプローチ起点・向き特徴
資産ベース(asset-based)資産を起点に積み上げる(ボトムアップ)資産 → 脅威・脆弱性 → 影響、と評価する。網羅的だが、資産が多いと粒度が細かくなり工数がかかる
イベントベース(event-based)リスクシナリオを起点にする(トップダウン)脅威源・望ましくない事象 → 影響する資産、と評価する。重要シナリオや脅威インテリジェンス・インシデント事例を取り込みやすい

表1:ISO/IEC 27005:2022 の2つのリスク特定アプローチ

2022年版では、この2つは排他ではなく組み合わせて使える。本ブログが資産ベースに軸足を置くのは、恣意的な省略ではない。ゼロトラストのプロテクトサーフェス定義(DAASの洗い出し)が、まさに資産を起点に積み上げる資産ベースと対応するからである。一方、イベントベースの「どう攻撃されるか」というシナリオ視点は、ゼロトラストのアタックサーフェスやステップ2(トランザクションフローのマッピング)の発想と親和する。つまりゼロトラストは、資産ベースを土台にしつつ、イベントベース的な視点も部分的に取り込む、と整理できる。

ゼロトラストは「技術的に扱える情報資産」を守る

では、ゼロトラストのプロテクトサーフェス(DAAS)は、この資産のうちどこを守るのか。答えを一言でいうと、技術的に扱える情報資産である。ISO/IEC 27005 の各資産を、その観点で対応づけると次のようになる。

ISO/IEC 27005 の資産種別性質ゼロトラストでの扱い
情報主要資産技術資産データ(D)=守る対象の中核
業務プロセス・活動主要資産束ねる基準・守る理由(DAASを括る軸)
ソフトウェア支援資産技術資産アプリケーション(A)
ハードウェア・ネットワーク支援資産技術資産資産(A)/通信経路
サービス(DNS・IAM等)支援資産技術資産サービス(S)=それ自体もプロテクトサーフェス
要員(人)支援資産非技術検証される主体(アイデンティティ)として扱う
拠点(サイト)支援資産技術+非技術機器は資産(A)/所在地はコンテキスト/建物は範囲外
組織(体制)支援資産非技術ガバナンスが担う(範囲外)

表2:ISO/IEC 27005 の資産と、ゼロトラスト(DAAS)での扱い。太字はプロテクトサーフェスに束ねて守る技術資産

この表から、2つのことが読み取れる。1つは、情報(データ)を中核に、ソフトウェア・ハードウェア/ネットワーク・サービスという技術系の支援資産が、DAASとしてプロテクトサーフェスに束ねられること。DNSやIAMのような基盤サービスも、それ自体が独立したプロテクトサーフェス(守る対象)として扱われる。ここは、ゼロトラストが漏れなく守る範囲である。

もう1つは、生身の人・純粋な物理(建物や環境そのもの)・組織や統治といった「非技術の領域」は、DAASには束ねられないこと。技術的なコントロール(検証・分離・暗号化・監視)で守る以上、守れる対象も技術的に扱える資産に限られるからである。これらはゼロトラストの範囲の外にあり、後述のとおり別の層が担う。 なお、この線引きは「技術資産か、非技術の領域か」で捉えるのが正確であると考える。たとえばIAMやDNSは、一見すると業務を下支えする補助的な存在に見えるが、技術的な実体をもつため、サービス(S)として守る対象に含まれる。見た目の役割ではなく、技術的に対象化できるかどうかが分かれ目になる。

業務プロセスは「束ねる軸」

2つある主要資産のうち、情報はプロテクトサーフェスに束ねられるが、もう一方の業務プロセスは、束ねられる中身ではなく、束ねる“軸”として働く。たとえば決済システムでは、カード会員データ(情報)は守る対象そのものだが、「支払いを処理する」という業務プロセスは、その周辺のデータ・アプリ・資産・サービスを1つのプロテクトサーフェスとしてまとめる基準になる。整理すると、業務プロセスを軸に、関連するDAASを束ねてプロテクトサーフェスを定義する、というのがいちばんシンプルな言い方になる。

図2:業務プロセスを軸に、関連するDAASを束ねてプロテクトサーフェスを定義する

非技術の領域は誰が守るのか — ISO/IEC 27002 の管理策

「ゼロトラストの範囲の外」と述べた人・物理・組織は、放置されるわけではない。ISO/IEC 27005 が参照する管理策の体系(ISO/IEC 27002:2022)は、管理策を4つのカテゴリに分けており、非技術の領域が、技術と並ぶ独立したカテゴリとして正面から扱われている。

ISO/IEC 27002:2022 の管理策扱う領域・例主な担い手
技術的管理策アクセス制御・暗号化・ネットワーク・ログ・監視ゼロトラスト(情報資産への防御)
物理的管理策入退管理・施設と装置の保護・電源・災害対策物理セキュリティ
人的管理策教育・訓練・審査・雇用/退職の手続き人事・教育(ZTでは人=検証主体)
組織的管理策方針・役割と責任・委託先管理・順守ガバナンス(ISO/IEC 27001/27014)

表3:ISO/IEC 27002:2022 の4つの管理策カテゴリと、主な担い手

つまり ISO/IEC 27005/27002/27001 は、組織・人・物理・技術の4領域すべてを、「資産の洗い出し」と「管理策」の両面からカバーする。ゼロトラストが担うのは、このうち技術的管理策、得に情報資産へのアクセス防御である。人は人的管理策(教育・審査)とアイデンティティ管理で、物理は物理的管理策(入退管理)で、組織・統治は組織的管理策とガバナンス(ISO/IEC 27001・27014)で、それぞれ受け持つ。

それでもゼロトラストをやる理由

ここまでを踏まえると、「ゼロトラストは一部しか守らない。ならばISMSやCSFだけでよいのでは」という疑問が生じるかもしれない。しかし、これは計画と実装を同じ土俵で比べてしまう誤解である。ISMS/CSFは「アクセスを技術的に守れ」と指示するが、その具体的な設計・実装は別に用意しなければならない。ゼロトラストは、その最も効果的な答えの一つである。

しかも、従来の「社内ネットは信頼する(城と堀)」というやり方には、一度侵入されると内部を自由に横移動されてしまうという致命的な弱点があった。ISMSやCSFという計画は、この弱点そのものは直してくれない。ゼロトラストは、まさにこの「内部の暗黙の信頼」を解消するために生まれた具体策であり、クラウド・リモート・コンテナといった境界が消えた現代の環境に適合する。

また、ゼロトラストは「思想」だけの存在ではない。5ステップの後半、ステップ3(アーキテクチャの構築)やステップ4(ポリシーの作成)で、マイクロセグメンテーションやポリシーといった具体的な対策まで実装する。

要するに、「焦点を絞る」というゼロトラストの原則は、守る対象を賢く定める話(技術資産は漏れなく守る)であって、守備範囲を狭めて一部を見捨てる話ではない。足りない領域は他の層が担い、多層で重ねて全体をカバーする。これが設計思想である。

最後に、この位置づけは、ゼロトラストを最も強く推進する米国政府の施策にも表れている。ゼロトラスト導入を義務づけた大統領令14028(2021年)は、その実装を、NISTが標準・ガイダンスで示す移行ステップに沿って進めるよう定めており、ゼロトラストをリスク管理の一環として位置づけている。CISAのゼロトラスト成熟度モデルも、OMB(行政管理予算局)のゼロトラスト戦略を補完する「複数のロードマップの一つ」とされ、ゼロトラストを唯一の完全解ではなく、段階的に進める枠組みの要素として扱っている。本シリーズが土台とするNSTAC報告書は、ゼロトラスト導入を連邦のリスク管理報告(FISMA)と整合させるよう明確に勧告している。つまり、ゼロトラストを強力に進める政府自身が、それを既存のリスク管理と整合させながら実装する前提に立っているのである。

補足:CISA ゼロトラスト成熟度モデルとの関係

米国CISAのゼロトラスト成熟度モデル(ZTMM)は、ゼロトラストを5つの柱(アイデンティティ、デバイス、ネットワーク、アプリケーションとワークロード、データ)と、それらを横断する機能(可視化と分析・自動化とオーケストレーション・ガバナンス)で表している。これは本ブログの整理とよく噛み合うと考えられる。なお、以下に示すDAASとの対応づけは、CISA ZTMMが定める公式な1対1の対応ではなく、概念上の整理である点に留意してほしい。

  • 5つの柱は、DAAS(守る対象)にほぼ対応する。データ→データ、アプリケーションとワークロード→アプリ、デバイス→資産、ネットワーク→通信経路、アイデンティティ→サービス(IAM)と人の扱い。
  • 「人=アイデンティティ」 は、人を守る資産ではなく“検証される主体”として扱うという、本ブログの整理を柱として明示したものである。
  • 横断機能のガバナンス が、ISMS/CSFという傘との接続点になる。純粋な物理や組織統制は、ここでも主対象ではない。
  • ZTMMは「成熟度モデル」 であり、各柱を段階的に高めていく。プロテクトサーフェスごとに成熟度を評価し、練習から本命へ反復的に進めるという第1回の考え方と同じ筋である。

まとめ

ゼロトラストは、組織の情報セキュリティ全体の中でどこを担うのか——この回の答えは次のとおりである。

  • ISMS(ISO/IEC 27001・27005)/CSFが「傘」として、全資産(組織・人・物理・技術)を網羅し、何を・どこまで守るかを決める(計画・統治)。
  • ゼロトラストは、その中の「技術的な情報資産への防御」を担う実装。DAASの範囲は漏れなく守り、ステップ3・4で具体的な対策まで実装する。
  • 人・物理・組織は、ゼロトラストの範囲外。ISO/IEC 27002の人的・物理的・組織的管理策や、アイデンティティ・ガバナンスが担う。
  • 両者は競合せず、重ねて使う。網羅はリスク管理(ISMS, CSF)が担保し、技術的な防御はゼロトラストが引き受ける、という補完関係である。

したがって、「ゼロトラストは何のためにやるのか」への答えは、ISMS/CSFが求める“アクセスを技術的に守る”を、現代の環境で最も効果的に実現する手段だから、となる。次回(第2回)は本編に戻り、ステップ2「トランザクションフローのマッピング」を扱う。守るべき対象が定まったら、次はそのデータやトランザクションがどこをどう流れているかを可視化していく。

以上

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